2010年度は、フランスにおける信託的補充指定(substitution fideicommissaire)につき、その歴史的展開を中心に検討する予定であった。しかし、信託的補充指定が有する長い歴史を考慮して、その全体を網羅的に検討するのではなく、フランス革命期における信託的補充指定の立法上、実務上の取り扱いを中心に分析した。以下では、その概要を報告する。 一時は頻繁に用いられた信託的補充指定も革命前夜はそれほど使われていなかったため、革命期の立法事業で信託的補充指定が取り上げられるのは遅かった。実際、信託的補充指定を廃止する法律が制定されたのは国民公会期である(1792年10月25日=11月14日デクレ)。とはいえ、一度廃止が決定されると、信託的補充指定に対して立法上も判例上も厳しい態度がとられた。 ところが、熱月後の方向転換は信託的補充指定にも及ぶ。実務上は、少数ではあるが信託的補充指定の禁止原則を回避する動きが見られるようになり、立法上は、共和暦8年の民法典草案において恩恵的処分(disposition officieuse)という信託的補充指定に近い処分法が盛り込まれた。恩恵的処分とは、廃除(相続権剥奪)の一類型である。結局、恩恵的処分はそのままの形では成文化されなかったが、これを契機に補充指定の部分的復活の議論がわき起こり、民法典の中で一定の類型に限り例外的に信託的補充指定の有効性が認められるに至る。 以上の検討から、ここでは特に、例外的に有効とされた補充指定は、存続期間が比較的短期間であるため財産の流通への阻害はそれほど心配されていなかったこと、そして、そもそも不動産の場合はそれほど流通に重きを置く必要がないとも考えられていたことを指摘したい。
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