本研究は、中華民国初期の上海総商会内に、商事紛争の調停部門として設置された「商事公断処」が、当時の市場秩序の形成に与えた影響を考察したものである。本年度は、研究の最終年度であり、前年度の調査時に収集した資料の個別分析、及び取り纏めを主たる作業とした他、平成23年8月に上海にて補足調査を行った。研究内容・成果の概要は下記の通りである。なお、当該成果に基づき、平成24年3月に中国現代史研究会総会にて学術報告を行った。(1)中華民国初期に商事公断処制度が導入された背景には、商事紛争の解決において、当時の司法・行政機関の能力が不足していたことがあった。実際に、1913年から1919年の期間において、上海総商会商事公断処が取り扱った商事紛争の案件中、4割弱が司法・行政機関から調停を委託された案件であった。 (2)公断処の調停は、「調停結果の執行」及び「紛争当事者の召喚」の点で強制力を欠いており、公断処における商事紛争の調停は限定的にしか機能していなかった。商会のメンバー(商人・企業家)は、強制力の欠如を問題視しており、強制力を伴った制度への変更を当時の司法部に要求していた。 (3)司法・行政機関からは、紛争の調停とともに紛争当事者の商業帳簿の調査を委託されているケースが多く、1917年には、帳簿調査の業務が増えため、帳簿調査の専門部署「査帳処」が商事公断処内に新設されている。これらのことから、商事公断処が、商業帳簿の調査を通じて、商事紛争の解決における司法行政機関の能力的限界を補完する役割を担っていたことがわかる(4)当時の商人・企業家らの間で、司法・行政機関に頼った商事紛争の解決には時間・費用がかかることは認識されており、商事公断処が、商事紛争の解決に関わる費用を節約するよう機能し、が市場取引における取引費用を引き下げ、市場秩序の形成に一定程度の貢献を果たしていたことが確認できた。
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