1、研究目的 鴻池幸武は昭和十年代に活躍した演劇評論家である。幼少より父善右衛門の趣味でもあった浄瑠璃義太夫節に親しみ、長じては人形浄瑠璃文楽および歌舞伎の研究に着手し、私家版として二つの芸談『吉田栄三自伝』『道八芸談』を著した。とはいえ、卅一歳の若さで戦没したこともあり、研究の具体的内容や方向性等については整理されないまま現在に至っている。したがって、論理的思考と音楽的感性を兼ね備えた鴻池の論考を検討することにより、戦後の豊竹山城少掾(二世豊竹古靭太夫)に代表されるいわゆる義太夫節の近代化というものの本質と、その延長線上にある現在の人形浄瑠璃文楽を、新たな視点からとらえ直すことが可能となる。 2、研究方法 今回はその第一段階として、鴻池幸武が残した評論を分析しその中核となる観点を体系的に把握することを主眼とした。鴻池の評論は、「浄瑠璃雑誌」を中心として、武智鉄二主宰の同人誌「劇評」に寄稿されたものがほとんどで、その他浄瑠璃を中心とした演劇批評誌に散見された。収集した資料は、検索が容易に進められるよう、まずパソコンを利用してデジタル化した。その上で、各評論を検討してその主題を分類し整理した。評論により取り上げられた音源については、SPレコードからデジタル化されたものを入手し、音声処理ソフトを導入してその雑音等を除去した上で、丸本および五行本と照らし合わせながら精密な聞き分けを行った。 3、研究成果 鴻池幸武の主張を端的に表現すれば、「風」を体現できない浄瑠璃はもはや義太夫節ではないのであり、体現できたもののみが芸術的価値を有する、というものであった。そして、現状においてそれが可能なのは、二世豊竹古靱太夫であると結論付けられている。また、「風」の伝承にあって最も重要な役割を果たしたのは、三味線の名人二世豊沢団平と彼が中心となった彦六座であり、それは現行文楽座における技巧の優劣や番付上の位置とはまったく無関係とする。文楽座の櫓下であった古靭は、彼を育てた相三味線三世鶴沢清六が、団平によって鍛えられた二世竹本大隅太夫の相三味線を務めていたことから、「風」の正統的後継者として芸術家たる評価を受けるに至った。このように、戦後の近代化の象徴は、明治期にその原形が見出されたのである。
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