研究課題/領域番号 |
22K00040
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
川本 隆史 東京大学, 大学院教育学研究科(教育学部), 名誉教授 (40137758)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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キーワード | 記憶 / ケア / 社会倫理学 / 脱中心化 / 脱集計化 |
研究実績の概要 |
本プロジェクトは、《正義vsケア》の論争を追跡してきた年来の研究成果に立脚して《記憶のケア》の社会倫理学の錬成を企図するものである。 研究代表者は、「記憶」を無機質の情報ではなく〝生き物〟のように見立て、これを世話し手入れする営みを「記憶のケア」と名づけ、被爆地・広島の「記憶」に適用しようとしてきた。被爆にまつわる辛い記憶であればあるほど、固定観念へと凝り固まって当事者を呪縛し、ステレオタイプの証言や沈黙を強いる傾向を免れない。そうした記憶の修復を図るところにこのケアの眼目がある。《記憶のケア》を社会のあり方を見直す規範的原理へと鍛え上げるのが、本研究の中心目標である。その際、①当事者や現場を中心から《ずらし、ひろげる》=《脱中心化》および②ひと括りにされた量や概念を《ほぐし、ばらす》=《脱集計化》という二つの新機軸を活用する。 交付期間初年度の最大の研究実績としては、「ケアの倫理」の首唱者キャロル・ギリガンの主著『もうひとつの声で』(原著1982年/増補版1993年)の新訳(山辺恵理子氏および米典子氏との共訳)を上梓したことを挙げねばならない。2022年10月21日に初刷を刊行し、2023年4月20日には第5刷を重ねている。いち早く毎日新聞に伊藤亜紗氏による書評(2022年11月19日朝刊)が掲載され、週刊読書人(西條玲奈氏/2023年2月20日)および図書新聞(山根純佳氏/同年2月25日)がこれに続いた。また国立人文学研究所の主催になる小川史代氏とのオンラインブックトーク(2022年11月12日)や紀伊國屋書店企画の岡野八代氏とのオンラインセミナー(同年11月25日)も実現し得た。さらに「ケアと共生」の章を含む単著『〈共生〉から考える』(岩波現代文庫、2022年12月15日)も世に送っている。 以上の実績をもって、次年度以降の研究の基礎固めができたものと総括できる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
「ケアの倫理」の原点に位置するフェミニスト心理学者ギリガンの『もうひとつの声で』の共訳が予想以上の反響を巻き起こし、本研究プロジェクトの深化と展開を助長してくれた。反響は、上の「研究実績の概要」に記した複数の書評やオンラインでの検討会にとどまらず、同書を献本した研究者やケアの現場当事者より寄せられた直接・間接の論評へと発展している。 さらに、複数の大学での講義・演習や読書会(たとえば各地・各種の「哲学カフェ」の類い)といった多種多様な場において、テキストや参考文献に指定されているとも聞き及んでいる。 また「倫理学」関連科目を永年担当してきた経験を織り込んだ単著『〈共生〉から考える』において、「ケア」を《共生の技法》の中枢に位置づけておいたが、この本も読者の輪を徐々に広げており、積極的なフィードバックが届けられている。 これらと一部連動するものとして、日本倫理学会の第74回大会(2023年9月30日~10月2日/会場:神奈川大学みなとみらいキャンパス)の共通課題が「ケア」に定められ、共通課題委員会の依頼を受けた研究代表者が総合司会を担当することになった。委員および報告者らとのZoom(および電子メール)を介した打ち合わせが現在進行中である。 以上に列記した初年度の研究成果および関連動向を勘案するならば、「当初の計画以上に進展している」とためらわず総括し得る。そして二年目以降の研究に大きな弾みがついたことも間違いない。
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今後の研究の推進方策 |
申請時に掲げた以下の三つのアプローチを活用して、本研究の実施・点検・整備を繰り返す所存である。 1.【「証言活動」や「被爆体験の継承」を実践する各種現場の実態調査】――複数の研究機関を定点観測の拠点に定め、定期的に調査出張を続ける傍ら、以前交付された科学研究費のプロジェクトとの連続性を図るべく、初等・中等教育の現場において「被爆証言」や「戦争体験」がどのように学ばれているのかも実地検分していく。 2.【「記憶のケアの社会倫理学」に関連する文献の収集と読解】――人文学のプロジェクトである以上、あくまでも文献研究が主軸となる。「世界という大きな書物」(デカルト)を読み解くことを怠ってはならないが、「この世界の片隅で」(山代巴が1965年に編んだ論集のタイトル)で語られ、綴られている小さな声や手記の細部にまで、耳を澄まし目を凝らす基本姿勢を保持したい。 3.【国内の研究機関・研究協力者との連携】――本研究は研究代表者の個人研究として遂行される。とは言え新奇性に富んだ「記憶のケアの社会倫理学」を主題とするため、代表者独りの力のみでは目標を達成し得るものではなく、隣接分野の研究者や実践家の助力を仰がねばならない。その際、これまで築き上げてきた人的ネットワークが当座の頼りとなるが、本研究を通じて新たなつながりが創出されることも期待している。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍が続いた中での研究出張を必要最小限に絞らざるを得なかったため、初年度交付決定額の1パーセント弱が支出されずに残った。 次年度は、この額を加え所期の使用計画に沿って進めたい。
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