研究課題/領域番号 |
22K00107
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研究機関 | 跡見学園女子大学 |
研究代表者 |
松井 慎一郎 跡見学園女子大学, 文学部, 教授 (50795101)
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研究分担者 |
清滝 仁志 駒澤大学, 法学部, 教授 (70294866)
杉淵 洋一 聖学院大学, 人文学部, 准教授 (00758138)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2027-03-31
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キーワード | 芥川龍之介 / 有島武郎 / 野上弥生子 / 小野塚喜平次 |
研究実績の概要 |
昨年度に引き続き「河合栄治郎関係文書」中の未公開部分を画像データ化し解読にあたった。それにより、芥川龍之介、有島武郎、野上弥生子といった同時代の作家たちとの交友関係や小野塚喜平次との師弟関係が明らかになった。 東京府立第三中学校時代の後輩である芥川龍之介とは、一時期、お互いの才能を認め合う仲で親しくしていたが、やがて思想上の懸隔が生じて交際を断っていった。河合は芥川の作品にはほとんど目を通すことはなく、その自殺についてもさほど気にかけなかった。 有島武郎とは、個人的な付き合いは殆どなかったが、「宣言」をはじめとする作品を愛読して尊敬し、その情死事件に対しても大きな関心を寄せた。社会革命家として有島に敬意を抱いていた河合は、情死事件を通じて、人間的な弱さに有島の欠点を見出し、社会を改革するのには自己の信念を貫く強さが必要であるとの認識を強めていった。 東京帝大経済学部の親睦会である経友会の座談会に野上弥生子が招かれたことで顔見知りとなった河合は、野上の才能に着目してその作品を次々と読破していった。野上作品は河合の思想と行動を勇気づけるものであり、河合は『学生叢書』の発刊に際して野上に原稿依頼するなど自分のテリトリーに野上を引き込もうとしたが、河合の性格に馴染めない野上は深入りすることを避けていった。 河合は、小野塚から科学的な学問方法と民本主義的な政治思想を受け継ぐ一方で、政治哲学の欠如と社会的影響力の低さという点に師の学問的限界を見出し、その限界を乗り越えるべく、理想主義思想体系の構築を目指し、ファシズム批判等の社会評論をジャーナリズムで展開していった。また、小野塚は、第一次世界大戦の惨状を目の当たりにすることでその平和主義・国際協調主義思想を強化し、それは満洲事変以降の国際的不安の中にあっても揺らぐことがなかったが、そうした思想は河合にも受け継がれていった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
資料整理をお手伝いしてくれる学生を確保できなかったことと、研究分担者の一人が海外留学をしていたことで情報共有が円滑に行かなかったため。
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今後の研究の推進方策 |
資料整理を手伝ってくれる学生を確保して、オンライン会議等やメール等を通じて、研究分担者との間で情報共有をすすめていく。
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次年度使用額が生じた理由 |
資料整理を手伝ってくれる学生を確保することができなかったことと、研究分担者の一人が海外留学をしており共同で調査旅行に行くことができなかったため。人件費および旅行費として使用する予定である。
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