研究課題/領域番号 |
22K00126
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研究機関 | 愛媛大学 |
研究代表者 |
東 賢司 愛媛大学, 教育学部, 教授 (10264318)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 墓誌 / 墓誌銘 / 女性 / 北魏 / 北朝 / 北斉 / 洛陽 / 造像記 |
研究実績の概要 |
本年度は、女性の墓誌銘に注目をし、文言検索や特徴把握を行った。男性の墓誌銘は、職歴などの生涯の履歴を文章化することが多いが、女性の墓誌銘は、官職等の記録は少なく、故人を称える四言等の詞文を多く有しており、文書的な特徴を把握するには丁度よい。北朝の女性の墓誌銘の用語の調査を通じて、伝承する文言に男女差や関連性等の特徴が見られるのかを検証することを中心とし、また、女性としての墓誌銘の代表例の抽出が可能であるのか、書的な共通性が見られるのか等の検討を行った。女性の墓誌216件、文字数12万字について、二文字熟語を基本として検索を行い、共通性を探った。女性墓誌銘の分類とグループ化では、比較した詞句を三類に分類した。すなわち、①女性に使用される用語が多い墓誌銘、②女性から男性へ伝播する用語が多い墓誌銘、③女性も男性も使用する用語が多い墓誌銘、の三つである。①では、早期に作られた墓誌銘ほど他の資料との一致率が高いという傾向もある。②でも、比較的に早期に作成された女性墓誌銘で多く用いられていた二字句ほど、男性に広がっていく事例が見られる。また、③は男女ともに広く使用する詞句を利用して撰文しているのであるが、北魏遷都直後の作例は男性のものが多く、男性から女性に影響を与えたと思われる詞句が目立っている。 結果として、①北朝を通じて用語の伝承は行われている、②男性と女性の墓誌銘に用語の違いは見られるが、女性が使用する詞句を男性が使用する例も見られる、③北魏の洛陽遷都後の比較的早期に作られた詞句には経書や史書等の文献資料との一致率が高い、④女性間で用いられた詞句を多用する集団を確認できる、⑤集団化できた資料でも書風の共通性は確認できない。また、詞句の上で代表的な作例である、蘇阿女墓誌銘と常季繁墓誌銘の訳注を行い、これらが古くからの文書内容を受け継いでいる可能性があることを証明した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
墓誌銘は伝統的に官職歴等を記載することがその中心であったために、歴史学的にアプローチしようとすると、それらの記載の少ない女性の墓誌銘には注目が集まりにくかったが、本論で行おうとしている詞句の共通性や伝承の状況を探ろうとする研究の場合、銘文は千金の価値があることがわかった。ただ、初年度については、研究方法の見直しに迫られた。中国の渡航についての問題が原因である。現在はやや緩和されたものの、飛行機便数が少なく、航空機代金が高いこと、また、日本人へのビザ発行の停止(年度末に、ビザの申請はできるようになったが、ビザなし渡航は再開されていない)、短期の訪問や調査目的での訪中が難しいこと等の理由があって、訪中ができていない。このため、数年来の出土品等の拓本や出版物が購入できていないことが問題である。中国国内の調査ができなかったために、現在収集ができている資料の分析を行った。これまで、20年以上かけて収集をした墓誌銘は、繰り返し資料集等の文物集に収録されており、また、その訓読や解釈も年々進化している。また、膨大に撮影をした石刻資料も整理を行った。データベースには、墓誌の情報(名称・国名・諱・字・性別・本貫・死亡地・埋葬地・誕生年月日・卒年月日・葬年月日・西暦・出土の状況)、墓誌の形状(寸法・字数・蓋の有無・収蔵機関)、図版(拓本・掲載書籍)、文書など、得られる情報はほぼすべて電子化することを心がけた。結果、文字情報においては、南北朝85万字、隋33万字の石刻資料が電子化でき、一字検索、多字数検索が可能になったのである。訪中ができない期間に中国国内のデジタル化がめざましく、電子情報の検索のみならず,現地の調査方法も再検討する必要が生じてきた。
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今後の研究の推進方策 |
目標の第一は、本年度後半には北京または北京経由で洛陽に出向き、拓本・書籍の資料を集めることである。第二点目は電子情報の収集である。愛媛大学からは出土報告書や大学紀要等の電子情報の収集に多額の費用がかかるため、十分な情報が集められない。アクセスの制限を解除するには中国国内から情報を集める必要がある。第三点目は博物館等の調査である。河南省等の都市に行くことができた場合、河川の情報を集めることができればと考えている。博物館等の展示パネルには、古代河川の地図や河川の発掘作業の写真等が掲載されることがある。河川というよりは水路のような小さな水運路は中国全土の大規模な運河・水運の情報に掲載されることが少ないが、短い小川を繋ぎ合わせれば、比較的に長距離の移動が可能であることがわかってきた。現在の中国では信じがたいが、石刻資料の多く使用された中国北部でも水運による物流がさかんであったと思われる。その物流方法では重量物の移動も可能であり、陸路よりも水路の方に重点を置いて移動ルートを形成していた可能性が高い。また、物流の速度も速く、現代人が予想するよりも早く物資の移動が可能であったと思われる。書の伝達はその移動手段を解明することが難しいが、同時の一般的な書とは書風を異にする整った楷書体が墓誌資料に刻まれた理由は、この容易な移動手段を利用できたためではないかと思われる。現在最も注目をしているのは、洛陽芒山の特に南西部に注目をしている。西に進むと西安に繋がるが、この周辺には墓誌の出土地が散見されるが、造像記の資料の所在地(出土地)がはっきりしていない。資料の中心である北魏だけではなく、北斉・北周・隋の石刻資料の調査を行いたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
予算はほぼ予定通りの使用を行った。残金については、次年度の物品費か旅費に使用する予定である。
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