研究課題/領域番号 |
22K00178
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 教授 (90261792)
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研究分担者 |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 蒲江地区摩崖造像龕 / 飛仙閣区 / 大仏坪区 / 西安唐前期仏教美術 |
研究実績の概要 |
22年度は、中国での調査を行えなかったため、これまで申請者が集めた資料を基に蒲江地区の摩崖造像龕の編年作業を開始した。蒲江地区地区の中心は飛仙閣区と大仏坪区で、両方地区では、多くの龕がそこで最初期に開かれた第60龕(689年)と関連を持つ。またそれと近い時期の造営と考えられた第64龕や第58龕の弟子像は、持物に630年代と考えられる広元地区皇澤寺区摩崖造像龕の第28龕像や第56龕との直接的な繋がりが指摘できる。則天武后期造営の第55龕菩薩立像腹部の皺形式は、西安宝慶寺塔石像龕の成道印像(703-704年)と類似し、それらの左右互い違いに着けた天衣の片方を捻る形式は、広元千仏崖第150龕(722年)と一致していた。また第51龕本尊阿弥陀如来像は、龍門石窟第2144窟(高平郡王洞)など、則天武后期に各地で見られる阿弥陀仏五十菩薩像との関連を指摘できる。蒲江地区飛仙閣区摩崖造像龕造像は、基本的に自律的に発展し、則天武后期に四川地方の他地域のみならず中原地区と関連を持ったが、それはさほど密接なものではなかった。 大仏坪区第19龕は、蒲江地区摩崖造像龕の集大成として位置付けられる。力士像の姿勢が第58龕像を継承するだけでなく、俗人形像など則天武后期直前(第60龕)の流行形式がリバイバルし、同時にそれまで飛仙閣区や大仏坪区には見られなかった天龍八部衆や天王像などの広元地区千仏崖における流行形式が現れた。そして天龍八部衆を壁面に浮き彫りする点で第19龕と共通する大仏坪地区第9龕本尊菩提瑞像の場合、グプタ式背障を持ち、脇侍に菩薩倚坐像を配するなど、新形式を多数有する。だがまた第9龕には、第60龕と類似する武器を持つ俗人像が彫り出された。第9龕と第19龕は、ともに自分たちの伝統をリバイバルするとともに外部から情報を得ており、ほぼ同じ時期(730年代)に造営されたと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナの問題で、22年度は中国で調査を行うことができなかった。資料収集も順調にはいかず、これまで申請者が収集した資料を基に研究を進めた。そのため、研究状況はやや遅れていると言わざるを得ない。
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今後の研究の推進方策 |
23年度は、現在の時点で、未だ以前のように調査を行える状況にはないが、22年度よりは良い状況にあり、9月に四川大学の教員の協力を得て、摩崖造像龕の調査を行うことを予定している。自ら収集した資料に基づく研究も並行して行う予定であるが、再度調査をしなくてはならない遺跡も多い。
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次年度使用額が生じた理由 |
22年度は、コロナのため中国に入ることができず、基本的に自らこれまで蓄積した資料の整理を行わざるを得なかった。しかし本年度は、9月頃に中国での調査を行う準備を進めており、その際協力してくれる四川大学の王友奎副教授と連絡を取り合っている。22年度行えなかった調査とともに、23年度に予定していた調査を行うことができる見込みである。
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