研究課題/領域番号 |
22K00208
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
朱 宇正 名古屋大学, 人文学研究科, 共同研究員 (40770524)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 朝鮮映画 / 日本映画 / 映画産業 / 映画政策 / 合作 / 東アジア / 植民地 / 戦時期 |
研究実績の概要 |
1920年代から40年代初めの期間を対象とする植民地朝鮮の映画産業についての先行研究を、主に韓国側の二次資料を通して調査・分析した。一番注目したのは、映画に関する朝鮮総督府の政策についての研究で、映画が持つ宣伝・大衆教化機能を活用するため組織された「活動写真班」についての研究(キム・ジョンミン、べ・ビョンウク、ボク・ファンモ)、また1940年以後の戦時期、朝鮮映画令の施行に伴う製作及び配給と上映に関わる変化を追跡した研究(ハム・チュンバム)、そして総督府傘下警務局図書課(のちに情報課)による検閲政策に関する研究(ムン・ハンビョル、ハン・サンオン、チェ・ソンヒ)などが行われたと確認できた。ただ20年代と40年代に焦点が合わされて、30年代の状況が見逃されている点、そして総督府による「統制」と「従属の構造」を強調している点などは今後本研究を通して考え直す課題であると指摘できる。 韓国映画史の中で海外との交流についての研究は、合作の場合、戦後の状況、殊に香港・台湾との合作を扱うもの(例えば『韓国合作映画100年史』)が殆どであると確認できた。これは日本が製作に参加した映画を「合作」というより実質的に日本が主体になって作られたものとして認めていることを示していると考えられる。この問題は「植民地朝鮮映画」の「ナショナルシネマ」としてのアイデンティティにもつながる問題で、それを帝国日本の立場や視線をもっと含めて考えることを主張する研究(イ・ファジン、チョン・ジョンファ、カン・テウン)も増えていると言える。他方、広い意味の「交流」を扱う研究も進んでいて、朝鮮と中国の間の交流(チン・ジャオリン、ハン・ジェウン)や朝鮮で活躍した日本人俳優・脚本家(ハム・チュンバム)についての研究などを取り上げられるが、個人レベルの交流を超えて産業・政策の次元でアプローチするものはまだ少ないと指摘できる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
韓国側の資料の調査と分析が充実に行われている。ただ日本側での一次資料の調査はまだ本格的には進めていない。映画会社関係の資料は東宝を中心に調査されたが、『東宝映画十年史』などの通史的観点から簡略に記述されたものしか収集できなかった。また『映画公社旧蔵戦時統制下映画資料集』で、東アジアの間の配給について論じられている文献などの調査が行われたものの、40年代を対象にしているため、本研究の範囲とは多少の差があると考えられる。30年代については、ファシズムへの政治的な変化、特に36年の二・二六事件と映画産業との関係を巡る文献調査が行われ、日本映画が国家統制システムへ編入されていく過程の言説が分析できたが、この過程の中、植民地関係でどのような議論が日本で行われていたのかについて今後より具体的な調査が必要になると考えられる。
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今後の研究の推進方策 |
2年次には、30年代後半を中心に、日本側の文献資料の調査分析を続ける。海外輸出や植民地関係の言説を収集し、当時の政治的変化との関係にも注目する。具体的には、映画専門雑誌を用いて、関連投稿や座談会記事を調査・分析する。映画会社関連資料としては、東宝の場合、雑誌『東宝』と『東宝映画』を、それ以外にも朝鮮との合作映画を製作した会社、例えば新興キネマの関連資料などを調査する。特に米国コロンビア大学所蔵のMakino Mamoru Collectionの訪問調査も推進する。また人物史的なアプローチも試みて、映画会社の役人や映画批評家などの中、朝鮮の映画界との関りがあった人物(例えば、国際映画新聞の市川彩)の関連資料なども収集する。 韓国側では、30年代-40年代植民地期の朝鮮映画の具体的なテキスト分析を行った二次資料文献の調査を進める。また日本映画産業との交流・協力に関する朝鮮総督府の一次資料の収集にも取り組む。最後に、植民地期の日本・朝鮮の映画産業・政策を扱う最近の二次資料(大塚英志、梁仁實、ハム・チュンバムなど)とトランスナショナル・シネマの一般理論についても調査・分析を行う。
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