研究課題/領域番号 |
22K00541
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研究機関 | 京都産業大学 |
研究代表者 |
吉田 和彦 京都産業大学, 外国語学部, 教授 (90183699)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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キーワード | ヒッタイト語 / 楔形文字粘土板 / 歴史言語学 / 文献学 / アナトリア祖語 / 破擦音 / 子音の長さの対立 |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、ヒッタイト語楔形文字粘土板に記録されている不規則な例外に注目し、それらの形式の歴史言語学的な意義を示すことにある。ヒッタイト語粘土板の文献学的研究の近年の成果により、粘土板を古期、中期、後期ヒッタイト語に時期区分し、また粘土板がオリジナルか、後の時期に写し直されたコピーなのかを判定する基準もかなりの程度明らかになっている。本研究は、文献資料に基づかない思弁的な分析を徹底的に排除する研究姿勢を取る。そのうえで、実証的に収集したデータに対して、厳正な歴史比較言語学的方法を適用することによって、広い視点から統一的な説明を与えることを目指す。 当該年度の重要な研究成果は次の通りである。古代アナトリアにおいて楔形文字粘土板に記録されたヒッタイト語の音韻特徴として,子音の長さの対立は閉鎖音,摩擦音,共鳴音,喉音においてみられるが,破擦音については対立がないと従来考えられてきた。しかしながら,文献学の立場から古期,中期,後期ヒッタイト語という厳密な時代区分を行ったうえで分析すると,古期ヒッタイト語において母音間のシングルの-z-がアナトリア祖語の*dに遡る例があることが分かった。他方,シングルの-z-が*tを反映している例はない。この知見は,アナトリア祖語の*tiは*tsiになる一方,*diは*dziになるという音変化を示している。そして無声の破擦音はダブルの-zz-で書かれ,有声の破擦音は-z-で書かれる。子音の有声無声という特徴が閉鎖時間の長さと相関することはよく知られている。したがって,古期ヒッタイト語では破擦音にみられる子音の長さの対立がなお存続していたことが分かる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
歴史言語学研究において、例外的な形式が持つ意義ははかり知れない。よく知られている事例としては、不規則にみえる母音交替を合理的に説明するためにソシュールが理論的に再建した喉音が、その後の印欧語比較研究を飛躍的に進めたことがあげられる。例外の存在は言語史の正確な理解にとってきわめて重要であることが多い。つまり、例外は類推などによる二次的な変化を受ける前のより古い特徴を保持していることが多いと考えられる。ヒッタイト語研究の現状においても、十分な説明を施すことのできない不可解な形式が多くみられる。しかしながら、それらが不可解に映るのは、文献学的な裏づけが不十分である場合が多い。 本年度は古期ヒッタイト語の時期に、後のヒッタイト語の歴史で失われた破擦音の長短の対立が存続していたことを文献学および歴史比較言語学的観点から明らかにした。その内容は日本言語学会機関紙『言語研究』に発表した。また-ye/a-という接尾辞を持つ動詞にみられる不規則な-yai-という形式の起源について、6月にノースカロライナ大学で開催された印欧語学会で発表することができた。その内容は近い将来、ドイツの言語学雑誌に掲載されることが決定している。
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今後の研究の推進方策 |
同系統に属する諸言語を比較することによって祖語を再建し、祖語の段階から各分派諸言語がどのような歴史を経て成立したのかを明らかにすることは、比較歴史言語学の最も重要な課題である。言語の歴史的研究の分野において、研究の進展に大きな影響を与える要因のひとつは従来知られていなかった新資料の追加であり、もうひとつは新しい方法論の導入である。アナトリア語派の諸言語に関する文献学的研究のめざましい発展は、近年のアナトリア比較研究に対して、量と質の両面から以前とは根本的に異なる視点を与えている。すなわち量の面では新資料の発見、質の面では文献学の観点からの資料の時期区分によって、新たな視点のもとでの研究の推進が可能となった。今後の研究においては、このような新しい視点に立って、ヒッタイト語文法における従来不可解とされていた問題に対して妥当な歴史的説明を与えることを目指したい。
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次年度使用額が生じた理由 |
発注していた学術書が年度内に届かなかったため。
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