研究課題/領域番号 |
22K01607
|
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
粕谷 誠 東京大学, 大学院経済学研究科(経済学部), 教授 (40211841)
|
研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
|
キーワード | 近世 / 両替商 / 大坂 / 手形 / 貸出 |
研究実績の概要 |
三井家は近世日本を代表する商人であり、両替店を京・大坂・江戸の三都においていたが、金融が最も発達していたのが大坂であったため、本研究は三井両替店の大坂店(三井大坂両替店)を事例として、貸出がどの程度発達していたかについて、1820年代から1840年代を対象に、貸出の分散、継続などについて考察していくものである。 当該期の三井大坂両替店の資産総額は、12,000貫から16,000貫程度で,大きな変動がない。資産を延為替,近為替,家質貸,質物貸,御屋敷貸,家代銀,有金銀銭,(有金銀銭以外の)その他に分けてみると,延為替が30%程度,近為替が1%程度,家質貸と質物貸がともに8%程度,御屋敷貸が15%程度,家代銀が6%程度,有金銀銭が12%程度,有金銀銭を除くその他が20%程度であった。御屋敷貸は,家質貸などほかの貸付形態で大名へ貸し付け,塞りとなった場合に振り替えられたもので,不良債権である。家質貸は,大名の蔵元商人への貸出で実質的な大名貸であるものと商人への貸出からなるが、前者の大名貸は5件,後者の商人貸は26件であった。質物貸は15の貸出先に集約された。正米切手入替による貸出が大きな割合を占めるが、大名蔵での空米騒動の影響を受けて不良債権となっていた。三井大坂両替店は、近世大坂を代表するといわれる鴻池屋庄兵衛,加島屋作次郎,加島屋作五郎,米屋伊太郎,天王寺屋弥七,島屋利右衛門という6つの両替商すべてと取引があった。中心的な貸出である延為替についてみると、期間中に貸出先数が増加しており、かつ1件当たりの貸出金額が減少していた。これは三井大坂両替店が貸出の分散をはかっていたものと解釈できる。延為替の大口貸出先は、大坂の代表的な商人であり、幕府への献金リストに登場していた。最後に近為替は大阪の有力両替商に対する為替資金の短期的な融通であった。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1820年から1850年の三井大坂両替店の勘定目録はデータベースへの入力が終了しており、これをもとに分析を進めている。 貸出の継続状況については、相続等により店名前が変更になっているケースがあるが、これを捉えるために、同一屋号であるが、名前が変化しているものの、金額が変わらない場合やそれまでと同じトレンドで変化している場合には、実質的に同じ貸出先として扱うこととしており、その修正もおこなっている。 また貸出先の分散を考える場合には、貸出先の数がひとつの目安となる。しかし2人名義の貸出が1つあるばあいと1人名義の貸出が2つある場合に、どちらの貸出がより分散しているのかは難しい問題である。そこで本研究では、貸出先の数とともに、貸出先に現れる人数全体を計測するように修正をおこなっている。これによってみてみると1820年から1850年にかけて、貸出先の数と貸出人数の双方が増加しており、貸出先の分散がおこなわれていたことが明らかとなっている。 以上の分析結果を2023年12月2日に熊本学園大学で開催された経営史学会全国大会自由論題および2024年2月16日の地方金融史研究会で報告し、さまざまな意見をいただいた。その意見をもとに論文を改稿している。 以上のとおりかなり順調に研究が進展している。
|
今後の研究の推進方策 |
研究発表で指摘を受けた点をもとに論文の修正をおこない研究のツメをおこなっていく。それには三井家の帳簿の分析のみならず、他の両替商の事例との比較、さらには国際的なフィナンシャーとの比較も必要になってくるので、こうした比較事例を渉猟する必要がある。そのためには多くの文献に当たって調査する必要がある。こうした文献の調査による改稿がおこなわれると研究が完成するといえる。
|
次年度使用額が生じた理由 |
今年度は予定していたEuropean Business History Association(EBHA)での学会報告をおこなうことができず、これが使用計画に達しなかった主な理由である。EBHAもしくはBusiness History Congressおよびヨーロッパでの研究集会における研究報告をおこなうよう努力していく。海外での発表では英文のペーパーが必要であり、英文校閲費も使用することになり、これも予定されていた支出に当たる。
|