研究課題
これまで、トランスジェニックマウスを用いた研究で、私たちは、Rasスーパーファミリーの一つとして報告されたkappaB-Rasが、発癌シグナルに対して抑制的に機能することを明らかにした。しかし一方で、培養細胞を用いた解析においては、kappaB-Rasが、発癌シグナルに対して促進的に機能することを見出している。つまり、kappaB-Rasは、細胞環境によって発癌シグナルにおける役割の方向性が変化するシグナル分子であることが分かってきた。この分子メカニズムを明らかにするため、kappaB-Rasのタンパク質複合体を精製し、質量分析によりkappaB-Ras相互作用分子の同定を試みた。その結果、TRB3、DDB1、SFPQ、NONOなど複数の新規相互作用分子が同定された。その中の一つ、TRB3は小胞体ストレスにより発現誘導されるpseudo-kinaseとして報告されているが、その強制発現は、がん化型Ras変異体による発癌シグナルに対して抑制的に機能することが分かった。一方で、shRNAを用いたTRB3のノックダウンは、がん化型Ras変異体によるマウス線維芽細胞の形質転換を促進した。さらにTRB3は、がん化型Ras変異体により活性化されるPI3K-AKT経路に対して抑制的に機能し、発癌シグナルを制御する分子機構が明らかになった。次に、A549やPANC1など、数種類のヒト細胞株について調べたところ、TRB3の発現はDNAメチル化によって抑制的に制御されていることが明らかになった。A549細胞にTRB3を強制発現すると、細胞の増殖、コロニー形成能が顕著に抑制されることも明らかになった。以上の結果から、新規kappaB-Ras結合タンパク質TRB3はRas-PI3K-AKT経路を抑制する新規のがん抑制シグナル分子であることが明らかになった。
2: おおむね順調に進展している
本研究では、当初、kappaB-Rasは、がん抑制シグナル分子として考えており、その機能解析を進めていた。しかし予想と異なり、kappaB-Rasは、細胞環境によって、その機能を変えることが明らかになり、その分子メカニズムの解明が課題となった。しかしながら、本研究により同定されたkappaB-Ras相互作用分子であるTRB3が、発癌シグナルを抑制することが明らかになり、kappaB-Rasの作用機序の一端が明らかになってきた。
今後、TRB3以外のDDB1、NONO、SFPQなどのkappaB-Ras相互作用分子群の機能を明らかにし、さらに、これらの分子群とkappaB-Rasとの関係を詳細に調べることにより、発癌シグナルにおけるkappaB-Rasの役割の理解が進むことが期待される。また、Ras遺伝子の変異は多くのがんの原因となることが知られており、本研究の進展により、がんの発生メカニズムに対する理解が進むことも大いに期待される。そのためには、ヌードマウスへのがん細胞移植実験を行い、腫瘍の形成状況を見ること、さらに、患者検体におけるkappaB-Ras相互作用分子群の活性化状態を明らかにすることも必要と考えられる。また、本研究により、抗がん剤の新規標的タンパク質が同定されることも期待される。
研究の進捗状況に記載したとおり、実験結果が予想と異なったことに主な理由があげられる。培養細胞を用いる実験は予定通り進行した一方で、マウスを用いた実験は令和4年度は実施しなかったため、次年度使用額が生じた。その一方で、新規のkappaB-Ras相互作用分子TRB3の解析が進んだため、TRB3の解析を目的として、今後、マウスを用いた解析も行っていく予定である。そのほか、培養細胞を用いた形質転換実験、さらにはTRB3のタンパク質複合体の生化学的解析も行う予定である。以上の研究計画において、次年度使用額と本来の令和5年度分の予算を合わせて使用していく予定である。
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