研究課題
「がん」は40年以上の間日本の死因の第一位となっている。悪性度が高くなった「がん」では周辺組織へ浸潤する細胞、リンパ節などへ転移する細胞、抗がん剤に耐性を持った細胞が出現する。これらの悪性がん細胞の形質を獲得した細胞の中には、がん細胞同士が融合することによって多核巨大化した細胞が含まれている。多核化がん細胞が抗がん剤への高い耐性能や異常に発達した運動能を獲得していることが分かっており、多核化がん細胞の存在は「がん」を克服する上で大きな障害となっている。そのため、がん細胞の細胞融合を抑制すれば「がん」で亡くなる方を減らせる可能性が考えられるが、これまでがん細胞の細胞融合の分子機構は明らかになっておらず、その抑制法も確立できていない。そこで、研究代表者達は細胞融合を繰り返すがん細胞株を独自に樹立し、細胞融合の分子機構を解析している。樹立した融合がん細胞株の遺伝子情報を解析した結果、嗅覚受容体のある1種類にミスセンス変異が起きていることを明らかにした。この嗅覚受容体のミスセンス変異は臨床検体の多核がん細胞でも確認できたことから、我々が樹立した融合多核がん細胞株は臨床で観察できる悪性度の高い多核化がん細胞と同じ分子機構で細胞融合を起こしている可能性が示された。嗅覚受容体から惹起される「匂いシグナル」には2種類あり、嗅神経細胞において嗅覚受容体に匂い物質が結合し陽イオンチャネルが開口することで活動電位が発生するいわゆる「嗅覚シグナル」と、匂い物質とは無関係に嗅覚受容体の自発的な構造変化によって誘導されるキナーゼ(PKA)の活性化がある。今回確認された嗅覚受容体のミスセンス変異によって構造変化が起こりPKAが活性化している可能性を調べたところ、融合多核細胞ではPKAが活性化していた。以上より、「匂いシグナル」の新たな生物学的意義として「細胞融合とがんの悪性化」への関与が考えられた。
2: おおむね順調に進展している
細胞融合する悪性がん細胞株を独自に樹立し、悪性がん細胞における細胞融合の分子機構を解析したところ以下のような結果を得た。①融合悪性がん細胞株では嗅覚受容体のある一種類にミスセンス変異が含まれていること。また、その変異型嗅覚受容体を導入した細胞では細胞融合を誘導できることを確認した。さらに臨床検体の多核細胞において、この嗅覚受容体のミスセンス変異と同様のミスセンス変異が含まれていたことから、この嗅覚受容体のミスセンス変異と細胞融合に関連があることが臨床的にも示唆された。②このミスセンス変異によって嗅覚受容体に立体構造変化が起きるかを解析したところ、構造変化が誘導されて匂いシグナルが活性化(PKAが活性化)していることが分かった。また、恒常的活性型PKAを導入した細胞では細胞融合を誘導できることを確認した。③融合多核細胞において細胞融合関連因子シンシチンが活性型(切断型)に変換されていたことが分かった。また、PKAによってシンシチンを切断するプロテアーゼ(フーリン)がリン酸化され、活性化されている可能性が示唆された。④融合多核細胞は抗がん剤シスプラチンに高い抵抗性を有していることが分かった。そのため、フーリン阻害剤によって細胞融合を抑制して多核細胞の数を減らすとシスプラチンの効果が増強されることを突き止めた。以上より「悪性がん細胞において匂いシグナルを通して細胞融合が誘導されており、融合することによって抗がん剤に対して高いアポトーシス抵抗性を示していること」が明らかになった。また、「融合を抑制することでより多くの細胞を死滅させ、抗がん剤の効果を上げることができること」が分かった。以上の知見より、一連の研究成果ががん治療における重要な標的になる可能性が示された。
研究代表者達は細胞融合の分子メカニズムを解析した結果、ある嗅覚受容体のミスセンス変異によって惹起される「匂いシグナル」の活性化が細胞融合に関与していることを明らかにした。これまでに得られた結果から、匂いシグナルの一部として知られているキナーゼ(PKA)の活性化がフーリンプロテアーゼをリン酸化および活性化し、活性化したフーリンが細胞融合因子シンシチンを切断(活性化)することで細胞融合が誘導されていると考えている。そこで、本年度は以下の実験を行うことでこの仮説を証明しようと計画している。①融合多核細胞においてこの嗅覚受容体をsiRNAでノックダウンし、匂いシグナル(PKA)の活性が抑制されるかを調べ、この嗅覚受容体のミスセンス変異が匂いシグナルの活性化に直接関与しているかを明らかにする。②フーリンにはPKAのリン酸化モチーフが含まれており、リン酸化モチーフに相当するフーリンの421番目のセリンがPKAでリン酸化されると考えられる。現在、フーリンの421番目のセリン特異的リン酸化抗体を作製している。融合多核細胞においてフーリンの421番目のセリンのリン酸化が亢進していること。さらに、PKAの阻害剤H89によってフーリンの421番目のセリンのリン酸化が抑制されるかを明らかにし、匂いシグナル(PKA)によってフーリンがリン酸化されているかを明らかにする。③フーリンの421番目のリン酸化がフーリンの活性化を誘導するかを調べるため、リン酸化を模倣した(セリンをアスパラギン酸に変換した)フーリンS421D変異体を作製し、野生型フーリンに比べてシンシチンの切断活性が上昇するかを解析する。また、フーリンS421D変異体の立体構造解析を行い構造上において切断活性に変化が生じるかを調べる。今後はこれまでに得られた仮説を証明するために詳細な解析を行っていく予定である。
本研究計画を遂行する上でフーリンのリン酸化特異的抗体を作製する必要が出てきた。抗体作製費用が40万円以上、作製期間が5か月から6か月必要であった。10月末に作製依頼をしたため、納品が今年度中(3月)から来年度(4月)の予定となり費用を確保していた。実際には今年度中の納品が間に合わず、支払いが来年度(4月中旬)になった。そのために抗体作製費用が次年度の支払いとなり、次年度使用額が生じた。
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