研究課題/領域番号 |
22K13027
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
矢口 直英 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 特任研究員 (30882568)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | イスラーム医学 / イスラーム哲学 / 解剖学 / イブン・スィーナー / 『医学典範』 / ガレノス / 『身体諸部分の用途について』 |
研究実績の概要 |
昨年度は、古代のガレノス以降イブン・スィーナーの『医学典範』に至るまでの時代にイスラーム世界において執筆された医学書を資料として、その解剖学的記述の読解と分析を中心的に行なった。具体的には、ガレノスについては『身体諸部分の用途について』、『解剖の手法について』、初心者向けの解剖学著作4点、また古代末期アレクサンドリアで成立したとされるガレノス著作のアレクサンドリア集成を、イスラーム世界の医学者についてはアブー・バクル・ラーズィーの『マンスールの書』、マジュースィーの『完璧なる医術』、マスィーヒーの『百の書』、イブン・スィーナーの『医学典範』、イブン・フバルの『医学選集』、イブン・ルシュドの『医学総論』、イブン・イルヤースの『マンスール解剖学』を検討した。最後の三名はイブン・スィーナーより後の時代の人物であり、『マンスール解剖学』はペルシア語であるが、他の医学者による解剖学的記述を理解するために補助的に参照した。 今回の作業では、イスラーム世界において執筆された解剖学的記述がガレノスの『身体諸部分の用途について』と初心者向けの解剖学著作に由来していることが確認された。このことは当初から予想されていたが、内容のみの影響関係だけでなく、解剖に関する思想・観点も同様にガレノス著作から強い影響が存在することが明らかになった。 イスラーム世界における解剖学的記述は単純器官と複合器官という分類から始まり、また諸器官の形態と用途・機能という区別が絡んでくる。この分類は大まかにガレノスの初心者向けの解剖学書と『身体諸部分の用途について』に対応しており、イスラーム世界の医学者たちはこれらに基づく記述を行なう。しかし、哲学者を自認するイブン・スィーナーは哲学的見解から解剖学を独特に評価しており、それが『医学典範』における解剖学的記述の構成に反映されていることが分かった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度は当初の計画通り、古代のガレノス以降イブン・スィーナーの『医学典範』に至るまでの時代にイスラーム世界において執筆された医学書に見られる解剖学的記述の読解と分析を部分的に行なうことができた。「部分的に」と記したのは、本研究で分析すべき解剖学的記述の分量が多いことと、現在入手可能なアラビア語の辞書に記載されていない解剖学用語が登場することがあり、それを理解する際に若干の困難が見られたためである。そのため、昨年度に調査しきれなかった解剖学的記述については今年度も逐次調査する必要がある。ただし、これら資料の大部分は既に刊行されていて入手済みであり、一部には近代語訳が存在するため、本研究を遂行するうえで大きな遅延となるものではないと判断する。また、(現段階で)難解な解剖学用語を解明するために当初の予定にない写本を参照する必要性が生まれたので、その入手を追加で試みている。該当の写本を所蔵する図書館には既に対応していただいており、近い時期にこちらに届くと予想されるので、研究計画に影響はないだろう。 解剖学的記述の内容そのものについては、これまでに入手した文献や医学書、またPCソフトを活用しながら解釈を行なっており、問題なく理解できていると思われる。ただし前述の通り、現代のアラビア語辞書には見つからない解剖学用語が登場し、日本語や諸外国語にない概念があるため、一部において解釈に困難が生じることがある。しかし、このような用語が辞書に見つからないのは、それらが後代まで残らなかったこと、重要な言葉として扱われていないことを意味するため、研究遂行において大きな問題とはなっていない。 昨年度の研究成果は、論文にまとめて学会誌に投稿済みであり、査読結果待ちである。また、本研究と関連のある文献の翻訳を大学紀要等に投稿し、一部刊行済み、一部刊行予定である。
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今後の研究の推進方策 |
今年度からは『医学典範』を対象に執筆された注釈書を中心的な資料として、『医学典範』における解剖学的記述の解釈と、それら注釈書の作者による解剖学的記述を読解・分析する。前述の通り、昨年度に調査が終わらなかったその他医学書における解剖学的記述の分析を行なう必要が残っており、その作業も継続していく。資料の入手状況については、『医学典範』注釈もその他医学書も写本および刊本として入手済みであるため、大規模な資料収集は予定していない。ただし、今後の研究の展開次第では、(主に刊行されていないガレノス著作のアラビア語訳を想定しているが)写本資料を調達する必要が出てくる可能性がある。2023年4月現在、海外の大学図書館の業務は平常の状態に戻っているようなので、その必要が生じた場合でも速やかに資料の取得は可能だと思われる。 今年度は、まず元々アラビア語で作成されたと想定されるラテン語の解剖学文献に関して、現時点で解明された範囲をまとめ、6月の日本医史学会学術大会にて研究発表を行なう予定である。また、アラビア語で執筆された医学書の解剖学的記述の傾向について、昨年度とは別の観点から分析してまとめていく。昨年度の調査によって、イスラーム世界における医学書の解剖学的記述はガレノスの『身体諸部分の用途について』に大きな影響を受けていることが明らかとなったが、この著作に頻繁に現れる創造主の讃美はアラビア語の医学書に十分に反映されていない。そのため、この事情について調査する。この著作はイブン・スィーナーの『医学典範』にも同様に大きく影響しているため、本研究を遂行する上でもこの調査は有意義である。 今年度の主要な目的は、予定通り『医学典範』注釈書における解剖学的記述の検討にある。これまでと同様の観点でこれら注釈書も分析していき、その成果をまとめて年度末までに発表する。
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次年度使用額が生じた理由 |
参照する必要が生じた写本を調達するために、年度末に残額をいくらか残しておく必要があった。実際の手続きが年度をまたぐことになったため、次年度に繰り越すことになった。この分は、当該の写本の調達費用として使用する。
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