今年度は『日本児童文学における「死」の語りー作品に見るその系譜と変遷』の一環として、児童文学における「死と戦争」の問題を軸にし、主に朽木祥の原爆児童文学を研究した。 朽木祥は「被爆2 世」で、原爆に関する児童文学作品を数多く創作してきた。『八月の光』『八月の光・あとかた』『八月の光 失われた声に耳にすませて』の三部作は、その中の最も重要な作品群だといっても過言ではない。『八月の光』シリーズにおける作品は主に、「命を失った」人々と「残された」人々の話によって構成されている。「水の緘黙」という短編では、原爆の衝撃で名前を忘れて、自分が誰なのかを忘れてしまった少年が教会との出会いをきっかけに過去を思い出し、救済されるまでを描いている。失った命の記憶、残された人々の記憶および原爆の記憶と、それらの記憶を継承していく場はどのような存在なのか。このような「記憶」をめぐる問題は、朽木祥の原爆児童文学を検討する際の重要な切り口となる。 研究成果として、「朽木祥の原爆児童文学と「記憶」―「水の緘黙」における「教会」をめぐって―」(広島大学人間社会科学研究科助教李麗氏と共著)では、それぞれの物語で表される「原爆」に関する負の「記憶」をどのように共有し、次世代の子どもたちに伝えていくかを検討した。大きな視点で戦争の悲劇を語るとき、国や政治の問題を避けて通ることは難しいが、朽木の作品はそうした問題にはあえて触れず、一人一人の人生への戦争の影響という視点から、戦争の悲劇を描こうとしている。それはすなわち、「個」の記憶を語ることを通じて集団の記憶を想起させる試みであり、集団の記憶としての「国民の物語」とは異なる形で、「記憶」を世界の人々と共有する可能性を示したものである。 また、「命を失った」人々と「残された」人々の両面を活動空間として、原爆児童文学作品に表される「命の継承」問題を検討、考察した。
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