初年度となる2022年度は、基礎的な史料や文献収集に重点をおいて研究を進めた。東京大学史料編纂所をはじめとする各所への史料調査によって、壬辰・丁酉戦争に関する史料を収集することができた。それと同時並行して、同戦争に関する既往の研究成果を、戦争史・政治史・外交史のみならず、文化史・城郭史・考古学・地理学など様々な分野にわたって集め、その蓄積と到達点について概要を把握した。 上記のように収集した研究や史料に即しながら、壬辰・丁酉戦争のうち、特に①同戦争を遂行していた文禄期における日本国内の政治過程、②朝鮮半島に築かれた倭城の織豊・近世城郭への影響、③同戦争の前後で活動した唐人が日本近世社会にもたらした影響について分析を進めた。 まず、①の問題については、文禄期の大きな政治的画期としては豊臣秀吉が関白職を譲った甥の秀次が切腹した、いわゆる「秀次事件」が挙げられる。当該事件は従来は壬辰戦争の戦況悪化に伴う秀吉・秀次の権力の二重化から説明されてきたが、当初の政権の思惑とは異なる経緯を辿ったことを解明し、文禄期の政治状況に再検討の必要性を確認した。 ②の問題については、倭城における攻防戦の経験や限定的な状況下における築城技術が、近世城郭にも一定程度継承されたことを解明した。 ③の問題については、多くの唐人が中近世移行期の日本に渡来し、情報や技術などにおいて、壬辰・丁酉戦争や日本社会の近世化に対する陽陰の影響を及ぼしたことを解明した。 これらの成果は随時成稿化し、一部を本年度中に公表することができた。
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