本研究課題は対流圏での太陽光(295nm以上)による液体ノナン酸表面の光分解に伴うOH生成を定量することを目的として開始された。ノナン酸は生物の老廃物に含まれる主要な有機物の一つであり、海洋表面やエアロゾル表面に普遍的に存在する。近年の大気化学分野では空気-水界面に存在するノナン酸の太陽光による光分解反応が対流圏における新たなOH生成源になりうるとして注目を集めていた。 初年度はレーザー誘起蛍光法を用いて液体ノナン酸表面の光化学反応を定量する手法を開発し、試験的に213nm光分解におけるOH生成効率の定量測定を行った。最終年度は対流圏での太陽光の波長領域(295nm以上)におけるOH生成効率の定量を目的とした。一般的にカルボン酸は210nm付近にカルボニル基のn-π*遷移(S_0→S_1)に由来する大きな吸収ピークに加えて、270nm付近に同様のS_0→T_1遷移に由来する比較的弱い吸収ピークを持つとされている。ノナン酸では後者の吸収の裾が300nmを超えても存在することから太陽光を吸収して光反応を引き起こすと考えられてきた。しかし、本研究においてノナン酸表面に266nmレーザーを照射してもOHは生成されず、「ノナン酸は太陽光を吸収しないのではないか?」という疑念を抱いた。そこで、独自に開発した再結晶装置を用いて極めて高純度のノナン酸を精製し、紫外光の吸収断面積を測定した。その結果、ノナン酸は260nm以上の光をほぼ吸収しない(10^-23cm^2以下)ことが判明した。また、高分解能NMR法とHPLC法により260nm以上の吸収はノナン酸試薬(純度98%)に含まれる0.1%以下の不純物(ケトン類)に由来することも判明した。本研究により対流圏におけるノナン酸の光分解によるOH生成は起こりえないことが示され、海洋表面やエアロゾル表面の光化学反応に関する従来の定説が覆された。
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