私を私たらしめるものは記憶であり、記憶の実体は人類の最大の謎の1つである。その中で少なくともわかっていることは、「私」の記憶は「私」が持つ脳のニューロンに格納されていることである。本研究では、幼少期にストレスを与えたマウスをモデルとして、ニューロンのエピジェネティクス情報を潜在変数モデルにより解析することで、個体の記憶の実体を解明することを目指した。 現代の神経科学は、特定のニューロンで形成される回路の活性化が記憶の実体であり、その回路を形成するためのシナプス結合こそが記憶の構造的基盤であることを示している。しかし、未だ実現できていないこととして、シナプス結合をいくら観察しても、目の前にいるマウスの脳内にどういった記憶が格納されているかを読み取れないことが挙げられる。 そこで申請者は、ニューロンのエピジェネティクス情報に着目した。体中の細胞には全く同じ遺伝情報がゲノムにコードされているが、細胞ごとに異なる性質を獲得するためにはエピジェネティクスが重要である。エピジェネティクス状態は、遺伝子座上に存在するヒストン修飾やクロマチンのオープン具合、ゲノム間の相互作用などで規定される。そして、その細胞においてどの遺伝子を読み取れるか(転写できるか)を規定する「目印」となり、これが細胞ごとに異なるのである。エピジェネティクス情報はその細胞の過去の経験を長期間格納することが示されており、すなわち細胞の記憶の実体として機能する。 本研究ではニューロンのエピジェネティクス情報には、シナプス結合とは異なる階層の個体の記憶が格納されているという仮説を検証した。そして、老化マウスなど異なる記憶を有するマウスのニューロンエピゲノム情報を解析することで、そこにマウスの経験が書き込まれていることを明らかにした。
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