本研究は近代日本(明治~昭和線中期)の美術界において、スイスで発明されたメタリコン(金属溶射被膜形成法)の導入と受容の過程を調べ、作品や文献の調査を通じてその意義や影響を考察しようとするものである。近代日本美術においてメタリコンは、彫刻・工芸・建築装飾を中心に応用され、例外的ではあるものの絵画にも用いられるなど、表面処理法の新技術として幅広い層に受容された。 その研究期間として2年間を設定し、1年目は東京美術学校の関係者、2年目はいわゆる「在野」の制作者、にそれぞれターゲットを定め、彼らが制作したメタリコン作品を実見しながら調査を実施した。調査地域は関東から九州に及ぶ。また、文献調査は美術館・博物館・図書館・公文書館などで実施した。 メタリコン研究の難しさは作品の特定にある。確実にメタリコン塗装が応用されたと実証できる作品は少なかった。しかしその一方で、メタリコン塗装が応用された可能性が極めて高い作品も見つかり、今後のさらなる調査によっては、メタリコン作品であると同定できそうな可能性も残す調査結果となった。 もともと金属工学の一技術としてスイスで誕生したメタリコンは、日本で導入される過程において1920年代を中心に芸術分野を中心として受容されたものの、1930年代にはやや下火になり、1937年の日中戦争勃発後は金属代用品としての性格を強めつつ、その応用分野の中心は芸術から金属工学・軍事・歯学・造船などの実用分野へと変化していった。
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