本研究では、金属溶射法であるメタリコンが近代日本美術に導入された経緯とその後の展開の過程について、作品と資料の両面から実証的に検証することで、メタリコンが持つ美術史上の意義を問うた。メタリコンは大正時代に「金属工業美術界の大革命」として日本に紹介され、1920年代から1930年代を中心とした短い期間ではあったものの、特に3次元的な立体造形(彫刻や工芸)の被覆技術として、進取の気性に富む一部の芸術家に好んで用いられた。朝倉文夫・渡辺長男・鈴木清などの東京美術学校関係者に加え、左官技術をバックボーンとする花井探嶺や後藤鍬五郎など、広義の美術における幅広い層に受容された。
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