研究課題/領域番号 |
22K19967
|
研究機関 | 愛知県立芸術大学 |
研究代表者 |
七條 めぐみ 愛知県立芸術大学, 音楽学部, 講師 (90963637)
|
研究期間 (年度) |
2022-08-31 – 2024-03-31
|
キーワード | 捕虜収容所 / 第一次世界大戦 / 収容所の音楽活動 / 洋楽受容 / 洋楽器産業 |
研究実績の概要 |
本研究は、第一次世界大戦中に中国・青島(チンタオ)から日本へ収容されたドイツ軍捕虜(俘虜)による音楽活動に注目し、それが東アジアの近代化と西洋文化受容の中でどのような意味をもっていたのかを明らかにすることを目的とする。 2022年度は、捕虜収容所に関する基礎資料を収集し、研究環境を整えるとともに、①音楽活動の成立をめぐる外部社会との連携、②青島の音楽文化との連動という二点に重点を置いて研究を進めた。 ①については、久留米市文化財収蔵館を訪れ、久留米捕虜収容所に存在したオーケストラがどのように楽譜や楽器を入手していたのか、会計記録等を調査した。その一例として、現在も大阪に本社を置く三木楽器株式会社が、ドイツ軍捕虜に洋楽器や付属物を納品していた記録が挙げられる。この記録を受け、三木楽器側に関連資料が残されているかどうかの追加調査を行った。さらに、同様の観点として、捕虜に対する救援物資を取りまとめていたシーメンス東京支社長ハンス・ドレンクハーンの活動に着目し、音楽分野においてどの程度外部からの援助があったのか、陸軍俘虜情報局が定期的に発行する『月報』などから調査した。 ②については、第一次世界大戦の開戦前に青島に駐留していた「ドイツ軍第三海兵大隊」に着目し、軍楽隊の変遷を複数の名簿資料から明らかにした。その結果、第三海兵大隊軍楽隊はドイツの植民地政策と連動するようにして、1905年を境に楽団員の充足や楽器編成の多様化が顕著であることが明らかになった。また、開戦を機に楽団員の大半は渡米し、捕虜として日本に収容されたのはごくわずかであることから、軍楽隊と捕虜楽団との人的連続性は希薄であることが浮き彫りになった。以上のことから、ドイツ軍捕虜による音楽活動は、青島の音楽文化が直接的なモデルであるというよりは、近代ドイツのコンサート文化を反映するものではないかという結論に至った。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
ドイツ軍捕虜による音楽活動と外部社会との連携を示す十分な資料が見つかっていないためである。これまで、捕虜に対する楽器や楽譜等の寄贈が確認される企業・団体とコンタクトを取り、当時の詳細について資料の有無を伺ったが、現時点では寄贈行為を裏付ける資料は見つかっていない。シーメンス社に関しては、ドイツ本社の歴史博物館(Historical Institute)に資料がありそうだが、新型コロナ感染症の影響で閉館が長引いている。
|
今後の研究の推進方策 |
第一に、捕虜収容所と外部社会との接点について、陸軍俘虜情報局や個々の収容所が発行する報告書類を改めて精査することで、音楽活動をバックアップする動きがどのように存在したのかを明らかにする。従来の研究では、音楽活動は個々の収容所で独自に行われ、俘虜情報局からの関与は希薄であるとされてきたが、本研究では各収容所の寄贈状況と俘虜情報局の記録を横断的に照らし合わせることで、俘虜情報局が捕虜による音楽活動をどのように捉え、寄贈物をどのように管理していたのか、またそれが音楽活動にどのような影響を与えたのかを考察する。 第二に、収容所の中でも名古屋収容所に着目し、演劇を含めた音楽・文化活動の実態解明と、収容所の置かれた文化状況の検討を進める。申請者はすでに、名古屋収容所に関する基礎資料を有するとともに、大正時代の名古屋の音楽生活に関して、当時の新聞記事を悉皆調査した経験をもつ。これらの基盤を生かし、2023年度には名古屋のドイツ軍捕虜による音楽・文化活動の資料調査として、徳島県の鳴門ドイツ館および、ドイツのシュトゥットガルト現代史図書館を訪問する予定である。その上で、名古屋収容所が例外的に都市部に置かれたことによる文化的なインパクトについて考察したい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
2022年度中に予定していた国内出張が、メールでのやり取りにより不要となったり、研究の進捗との関連で延期となったためである。 2023年度は延期していた国内出張、および当初の予定通り国外出張を行う。
|
備考 |
図書『愛知の大正・戦前昭和を歩く』では、以下の部分を担当執筆した。 朝井佐智子・七條めぐみ「ドイツ人捕虜が名古屋で大活躍--いまにつながる文化・技術が生まれた」(142-147ページ)
|