近年、日本近代文学が、東アジアという国際的な枠組みの下で論じられる機運が高まっている。だが、現在から三十年以上も前に、東アジアに広がる作品世界の構想や文学者同士の連帯を主張し、「新植民地主義」として国内外から批判を浴びた作家がいた。小説家・中上健次である。 本研究は、中上健次が行なった韓国ソウルでの取材紀行や現地の文学者との交流の実態を精査することで、これまで一方的な批判に晒されてきた、中上におけるアジア志向の内実を韓国との関わりから実証的に捉え直すものである。それによって、東アジアに広がる広範な視野から作家の活動を理解し直すとともに、中上以降の日本の文学者における国際的な交流のネットワークを捕捉することを目指している。 最終年度に当たる本年度は、以下の二つの方向から研究を進めた。 第一に、中上健次と海外の作家・思想家との交流の跡を辿り、そこに一貫して見られる中上の日本語という言語への固執を明らかにした。その成果は、前年度のシンポジウムをもとにした論集へと組み込み、ジャック・デリダをはじめとする世界的な思想家との同時代的な共鳴関係を他の論者とともに浮き彫りにした。また、それに絡めて「中上健次で日本近代文学は終わった」としばしば語られる言説を検討し直し、中上にしても周囲の論者にしてもその際に日本近代文学の歴史や私小説の伝統をあえて引き受ける身振りをしていることを明らかにした。 第二に、上記のような中上の試みを作家個人の問題に限定するのではなく、冷戦末期に日本の文学者がグローバルな連帯の可能性を模索していたものとして検討し直した。そのために、安部公房、大江健三郎といった作家の研究者とともに2年間にわたって発表と討議を積み重ねてきた。2024年度に、学会でのパネル発表を通じて、その成果報告を行う予定である(2024年5月26日日本近代文学会)。
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