最終年度(2023年度)も「近代日本社会における仏教的思想の受容傾向と、それが文学表象に与えた影響」「仏教的言説が一般に流布する過程で広まった正統的教学とは異なるイメージが、どのような特徴を持ち、アジア・太平洋戦争前後の知識青年の教養形成に関わったか」という2点を研究の軸に設定した。 前年度途中より親鸞表象および浄土真宗に関わる言説から調査を進める方針とし、文学資料調査の他に関係施設の参観や『本願寺派寺院と戦争』調査報告書(2022年発行)の入手等を行った。倉田百三『出家とその弟子』(1917年初刊)などを通じ、卓越した「宗祖」である以上に苦悩する「人間」であったという親鸞像が知識青年を含む一般層に広がることで、仏教的思想は大正教養主義と絡み合う自己修養思想として機能したと考えられる。この自己修養と表裏一体となる利他志向、さらに民衆の中で活動したという親鸞像は、マルクス主義的な社会参与に通じるものとして一部の知識青年に捉えられた。本課題の研究対象の一人である野間宏が、親鸞思想とマルクス主義思想を往還しながら文学活動に取り組んだことも、このような教養形成期の状況から捉える必要があるとわかった。 あわせて、研究開始時に考察対象に想定していた武田泰淳の一部著述においては、仏教と並立してキリスト教が重要な位置を占めているが、大正教養主義との連続性を仮定することにより、個別の宗教のモチーフで区分けするよりも、大きく異なる二つの宗教の間に作家が見出した共通の道徳規範を精査することが有効ではないかという着想を得られた。 なお仏教的な利他や捨身的な道徳規範が、理念化された「武士道」「禅」等と結びつき戦時体制を支えた問題を踏まえ、大西巨人が重んじた道元の克己的姿勢の意義と危うさを、在外日本人を対象とする教導資料を補助線に考察することも課題としたが、成果の取りまとめにはもう少々の準備を要する。
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