本研究の目的は、以下の二点を大きな柱としている。(1)戦国期畿内周辺の在地社会に形成された一揆について、その形成から解体に至る過程を解明する。(2)戦国期の畿内周辺に形成された、土豪層の一揆の役割と特質を、戦国大名領国地域との比較的視点を導入しつつ解明する。 以上の内、2023年度は、前年度に引き続き、(2)を実施すべく、伊勢国一志郡小倭郷と、駿河国駿東郡口野郷(口野五ヶ村)に関する研究を行った。前者は、15世紀末から16世紀、土豪層の一揆的結合による地域統治が行われたフィールドとして、後者は、16世紀中葉から末期にかけて、国衆葛山氏、次いで戦国大名北条氏による在地支配が展開されたフィールドである。研究の結果、下記の二点に述べる成果を得ることができた。 (ⅰ)15世紀末に小倭郷で形成された二つの一揆(土豪層の一揆、百姓層の一揆)を検討した結果、小倭郷の土豪層は、独自の私領支配を展開する自律的な小領主であったこと、彼らは、その私領支配をめぐる彼ら相互の争いを判定的・協定的に解決するための法秩序を自力で実現しようとしていたこと、そこには、戦国期の畿内近国に典型的にあらわれる一揆的地域秩序の特色が見いだされることを解明することができた。この成果は、『年報中世史研究』48号に公表済みである。 (ⅱ)16世紀中葉から末期にかけて、葛山氏次いで北条氏の支配を受けた、口野五ヶ村の土豪植松氏についての研究を実施した。具体的には、戦国期(16世紀)の前半に、植松氏は、土地と人民の支配を自立的に行う小領主であったこと、他方で、当該地域の場合、土豪層が、自らの諸権利を守るために相互の連帯(一揆)を形成する様子は見られなかったこと、やがて彼らは、上部権力(戦国大名)の影響下、自律的な小領主の性格を喪失し、代官・村役人へと変貌してゆくことが解明された。この成果は、『一橋社会科学』15巻に掲載済みである。
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