研究課題/領域番号 |
22K20297
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研究機関 | 国立民族学博物館 |
研究代表者 |
佐藤 美奈子 国立民族学博物館, 人類基礎理論研究部, 外来研究員 (20964993)
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研究期間 (年度) |
2022-08-31 – 2025-03-31
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キーワード | 成人識字教育 / 語り / ブータン / ナラティヴ・アプローチ / オーラル・ヒストリープロジェクト |
研究実績の概要 |
2023年3月第1回目の現地訪問調査(17日間)をおこない、首都Thimphuを含め、西部(Paro, Punaka、Wangdue Phodang)、中央部(Bumthangm、Trongsa)の成人識字教育(NFE)センター15校を訪問した。インタビューより、NFEに通う母親たちの就学動機が、調査開始時(2015年)より変化していることが明らかになった。当初、NFEの学生は「国家アイデンティティ」として政府が明示するゾンカ語(国語)能力の不足に対するスティグマから学習に臨んでいた。2023年の調査からは、子どもの学力不振・留年・退学に対し、教育がない家庭では子どもの勉強を補助できないことについて「親として申し訳ない」「教育のある親の家庭との格差」から母親がNFEに臨んでいる状況が明らかになった。 2024年3月第2回目の現地調査(22日間)では、西部、中央部、東部、南部までブータン全域のNFE14校を訪問し、同時に地域の小学校14校を訪問し校長と現場の教師にも話を聞いた。その結果、小学校4学年の退学率30%、留年率30%を超えており、その多くが家庭に問題を抱える生徒であった。学校教育の現場は状況を把握していたが、教育省に報告され対策が取られることはなかった。 NFEの母親は、自分の経済活動と学習意欲、子どもの学習の補助のためにもゾンカ語ではなく英語の学習を望んでいる。しかし、NFEの現場では依然ゾンカ語重視であり、インストラクターのレベル(中学卒)からも英語指導には無理があった。その一方で、都市部のNFEは地方出稼ぎ者のゾンカ語口語習得の場でもあり、複数言語が可能なNFEのインストラクターの個人的努力により支えられている。調査からは、教育省の報告と現場の把握の矛盾が浮き彫りになった。 当状況は国際開発学会第34回全国大会にて発表し、優秀ポスター発表奨励賞を受賞した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当初、本研究では成人識字教育(NFE)を修了した学生を主体として、コミュニティラーニングセンター(CLC)での自立と、コミュニティ活動の活性化のための「語り」を軸としたオーラル・ヒストリープロジェクトとして立ち上げることを目的としていた。 しかしながら、調査が進むと同時に研究状況が大きく変化した。第1に、ブータンのNFEの実態と政府の報告との乖離と、生徒の求める学習像と提供される教育との齟齬がもはや修復し得ないものとなっていることが明らかになった。第2に、COVID-19禍後にブータンの若者(20代から30代)が大量に国外に流出し、NFEは2023年から2024年でも閉鎖が相次いだ。コミュニティとその意識も変化し、村には海外に行った親世代の代わりに孫を世話する祖父母世代と幼い子どもが残る現状が目立った。残る人たちも渡航資金ができ次第、国外に出るためにその準備をしており、ブータンでのコミュニティ活性化を支援するプロジェクトに意味を見出すことは難しい状況となった。 その一方で、そうした村の惨状のなかで最後の「核」となっている「村寺」の存在に視点を向けたことで本研究のプロジェクトは新たな展開を迎えた。ブータンの僧院は、国から財政保障を受けるドゥク派カギュ派と、それ以外の僧院と尼僧院に分かれる。政府の財政保障対象でない僧院・尼僧院は、その存続を村に頼る反面、村人との親交が深い。村の貧しい子どもや身寄りのない老人を保護するなど、国家政策として社会保障制度が未熟なブータン国家に代わり、社会のセーフティネットとして機能する。政府の普通教育を退学した生徒、家庭崩壊して遺棄された幼児、貧困家庭の学童を保護して教育や生活の場を与えているのもこれらの僧院である。 本研究は、村に残る母親たちと村寺の僧侶・尼僧を中心としてオーラルヒストリーを用いた連携を進めることで新たなスタートを切った。
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今後の研究の推進方策 |
今後、当研究は、コミュニティの活性化における「語り」を軸とするオーラルヒストリープロジェクトの立ち上げを、政府管轄下のコミュニティセンターではなく、村の僧院や尼僧院を「場」としておこなっていく予定である。 ただし、2024年3月の調査において、ブータンの僧院を取り締まる中央僧院とブータン教育省、王立大学から、今後の調査研究および国際大会をはじめとする学会での発表についてはすべてブータン政府への許可を義務づけられたうえ、ブータン内での調査にはブータン人研究者との共同研究を義務づけられた。そのため、今後の研究の推進にあたって、ドゥク派カギュ派以外の僧院や尼僧院の状況を調査したり、そこでの共同体の活動を推進していくことにおいてどのような規制が課されるのか不明な状態である。 そのため今後は、もうひとつの視座として、国を出た大量のブータン人の海外でのコミュニティ活動やアイデンティティの新たな形成も視野に入れ、グローバルなレベルでブータン人のコミュニティの活性化について現代と今後の方向性について、調査をおこなっていく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
本年度にブータン西部、東部、中央部の調査は、おおむね終了したが、南部がまだ十分ではない。次年度に、ブータンでの現地調査を南部を中心におこなうために、旅費と滞在における調査費用として使用する。国内外で学会発表に使用する。
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