本研究は、外国人特別研究員のJIN Xin氏とともに、行われた共同研究であり、六朝後期から初唐期までをつなぐ「六朝詩体」の流れに着目し、日本における漢詩制作も視野に入れ検討し、さらに、近体詩成立以後もそれが継承され、新たな表現が生まれたことを指摘するものである。まずJIN氏による実証的な声律論研究によって「六朝詩体」の実態が明らかになり、王朝交代によって区分されがちな文学の流れを、六-七世紀という連続する時代としてとらえなおし、過渡期ではなく成熟期として輪郭づけることに成功した。 また、JIN氏の声律論に応じて、齋藤は、「六朝詩体」の対句と散句の表現機能面での構成に着目した考察を行なった。すなわち、近体の律詩が四聯八句を基本として、中間の二聯は対句によって構成される「首尾不対」について、従来はもっぱら形態面での美を説明の根拠とすることが多かったのに対して、対句が無人称もしくは知覚動詞による事物描写が多いこと、散句が否定や反語、問いかけの助字によってモダリティもしくは対人機能を示す傾向が強いことから、対句と散句の関係を、シャルル・バイイによるdictumとmodus以来、言語学で議論されているモダリティの枠組みと関連づけた。「六朝詩体」においてはすべてが対句で構成された詩も珍しくないが、その場合であっても起聯や結聯においてモダリティを示す助字が用いられたり、二句で主述を構成する流水対が用いられたりする傾向が強いことも実証された。こうした分析は、対句を基軸とする当時の賦や駢文との関係を検討する上でも有効であり、賦・詩・文の間テクスト性において詩語の生成が行われた背景、さらに、近体詩成立以降においてもなぜ「六朝詩体」が用いられたのかについて、理由の一斑を示すことにもなるだろう。
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