本年度は、昨年度に課題としていたアジャンタ石窟やウダヤギリ石窟などのインドの作例を調査する方針を変更し、昨年度に引き続き中華人民共和国に所在する関連作例(石窟、仏塔)の調査を行った。昨年度に行った調査ではいまだ作例の網羅が不完全であり、加えて本研究が着目する天王像・神将像の獣面装飾は比較的細密な装飾であるため、追加で細部の撮影を行う必要が出てきたためである。追加で調査・撮影を行うことで、特に7世紀中国において天王像に獣面装飾が施される過程を明らかにしうる材料を得た。それらの材料を分析することで、隋代の後半から初唐期にあたるこの時代に仏教群像中に天王像(神王像)が定着し、それにやや遅れて7世紀半ばに天王像に獣面装飾が施されるようになる、という過程が概ね明らかになった。中でも唐・高宗の永徽四年(653)に立てられた大唐三蔵聖教序碑および大唐三蔵聖教序記碑の碑頭部分に浮彫された二天王像が、腹部と肩に獣面装飾を施す最初期の重要な例であることが予想され、当該年度内に行うことはできなかったものの、現在この碑頭の二天王像に関する論文投稿を準備している。 インドにおける調査を取り止めた為、当初予定していた曼荼羅や唐代仏塔の門上装飾とトーラナの門上装飾の影響関係を具体的に明らかにすることは難しくなった。しかしながら中国、なかでも盛唐期河南道の仏塔に表される門上装飾に関しては本年度の追加調査によって多くの資料を収集することができた。これを元に唐代において同様の装飾がいかに成立し理解されていたのかを引き続き分析する。その上で同装飾が日本にもたらされた後どのように理解されたのか、胎蔵界曼荼羅の作例と比較することで明かにしていきたい。 加えて中世日本の密教的文脈で「獅噛」と同一視された門上の鬼面が、江戸後期に再度注目され「河伯面」等として考証が行われる事に関しても、近年中に論文として発表する予定である。
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