本研究では頭足類の複雑な行動に欠かせない吸盤という新規形質の獲得過程解明を目的とした.まずイカ,タコにおける吸盤形成過程を観察し発生学的な基盤を構築するため,コウイカSepia esculentaやアオリイカSepioteuthis lessonianaを対象として吸盤形成過程を詳細に記載した. さらにイイダコAmphioctopus fangsiaoやマメダコOctopus parvusという2種のタコについても吸盤形成過程の観察を行い,イカ類との比較を通して先端に吸盤を形成する尾根状の領域があること,吸盤原基の頂端部が陥入して吸着構造が発達することなど,頭足類に共通する吸盤形成過程を明らかにした.次いでイカやタコの吸盤形成に必須の遺伝子を特定し,分子機構を解明するため,コウイカS. esculenta を主な研究対象としてin situ hybridizationと腕の先端から基部にかけての部位ごとのRNA-seqを行い,吸盤で特異的に発現するEts1やChordinなどの遺伝子を特定した.さらに,軟体動物の系統間の比較により吸盤の進化過程を考察するため,腹足類のヨーロッパモノアラガイLymnaea stagnalisに着目して腹足との遺伝子発現の比較を行い,祖先的に足の発生過程では発現していなかった胚発生初期の体軸形成に関わるBmp2/4やChordin等が頭足類の腕特異的に導入されたこと,原腸陥入に関わる転写因子Ets1等が吸盤原基で局所的に使いまわされるようになったことなどが吸盤の獲得に繋がった可能性を示した.以上の研究から,胚発生初期の体全体のパターンニングなどに用いられる遺伝子群が,頭足類では末端の器官において特異的に使い回されて吸盤の獲得に繋がったのではないか,という頭足類の新規形質,吸盤の進化の道筋を示すことができた.
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