今年度は、従来行ってきた、中国大陸に留まった遺民に焦点を当てた研究から一歩踏み出し、日本に来た明の遺民の事例を通じて、遺民思想の新たな研究可能性を探った。17世紀、中国大陸で起きた明清交替は、中国社会に大きな変革をもたらした。異民族の支配下で生き延びた明の遺民は、多くが「華夷の別」を重んじ、清の統治を拒否する立場を取った。彼らの中には、中国本土を離れて日本に亡命することで自らの夢を「異域」に託した者もいた。 また、前年度の研究成果を踏まえ、東京大学が開催した一般公開講演「10分で伝えます!東大研究最前線」において、「日の本:「明の遺民」のアナザースカイ」と題した講演を行い、朱舜水、陳元贇、戴曼公など明の遺民に関する研究成果を発表した。 さらに、明末清初に日本に亡命した遺民の一人、張斐の事例を詳しく分析することで、彼の華夷論の本質を明らかにし、当時の日中文人間の思想交流の一端を探った。浙江余姚出身で、朱舜水に憧れて二度長崎を訪れた張斐は、清末の中国革命家によって再評価されるまで、ほぼ無名だった。しかし、長崎での滞在中、彼は安東省菴や大串雪瀾などの日本の儒学者と文通や筆談を通じて交流しており、日本には彼に関する資料が豊富に残されている。本研究では、『霞池省庵手簡』、『莽蒼園文藁餘』、『張斐筆語』などの資料を基に、張斐の独自の華夷論を解明した。これらの研究成果を元に、東アジア日本研究者協議会で口頭発表を行った。その上で、「「異域道行」を望む遺老―張斐の華夷論について―」と題した論文を執筆し、『日本儒教学会報』第8号に掲載された。
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