研究課題/領域番号 |
21J23239
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
鶴田 想人 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2021-04-28 – 2024-03-31
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キーワード | 無知学(アグノトロジー) / 医学史 / 博物学史 / 植物学史 / 医学思想史 / 科学論 / 無知 / 非自然的なもの |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、科学技術によって生み出される「無知」を研究する無知学(agnotology)の観点から、西洋中近世医学史における「非自然的なもの」の衰退、すなわち古代以来医学の中心を占めていた飲食や運動、睡眠等に関する知識が、いかにして医学の中から失われていったのかを解明することである。 本年度は昨年度に続き、本研究の視座である無知学の研究・紹介と西洋植物学(本草学)史の研究を継続するとともに、植物学の変遷の背後にある医学思想の研究にも着手した。 無知学に関しては、日本科学史学会にてシンポジウムを開催し、科学史のみならず社会学・ジェンダー史といった領域の研究者を交えて無知学/無知研究の諸相について議論した。その成果は昨年の研究会の成果であるエッセー・レビューとともに、『科学史研究』に掲載された。また、無知学の応用編とも言えるジェンダード・イノベーションに関する講演会にてパネリストを務め、その成果を『ジェンダー研究』にて発表した。さらに、他大学での研究会やフランス語版リサーチ・ショウケースにて無知学の概要を口頭発表するなど、アウトリーチにも努めた。 植物学史に関しては、昨年度の発表に基づいた論考が『生物学史研究』に掲載されるほか、日本の近代植物学(分類学)の礎を築いた植物学者・牧野富太郎の植物学(思想)について、『ユリイカ』に論考を寄稿した。これにより、後述する植物学史・医学誌の東西比較の視点を得たことは有益であった。 医学思想については、ヒポクラテスやガレノスの医学論文の読解や、中世の医学教科書集「アルティケッラ」のラテン語による読解を進めた。また、「非自然的なもの」の中核をなすといってよい「飲食」について、その科学史との接点を日本科学史学会にて口頭発表したほか、採集食の倫理的含意について論じた論文の紹介を『環境倫理』に寄稿した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は昨年度に続き、本研究の視座である無知学の研究・紹介と西洋植物学(本草学)史の研究を継続するとともに、植物学の変遷の背後にある医学思想の研究にも着手した。 無知学に関しては、上述の通りコンスタントに研究成果を発表し、またシンポジウムの成果として日本の学術雑誌において初めての無知学に関する小特集を組むなど、この領域の研究と日本への紹介に一定程度の成果をあげられたと自負している。 植物学史に関しては、牧野富太郎に関する論考を執筆する過程で中国・日本の植物学(本草学)について学んだことが、本研究全体の視野の拡大につながり、後述する東西比較という新たな展望がひらけたことで、一定の成果が得られたと考えている。 医学思想については、昨年度計画した通り、古代・中世の文献の(ギリシャ語・ラテン語による)読解を進めたことで、「非自然的なもの」の概念への理解が深まるとともに、その概念が機能していた文化・社会への一定程度の理解を得ることができた。しかし、昨年度の計画の後半にあった16世紀後半以降の医学教科書や、民間に普及した「青本」などの文献の読解は課題として残された。 このように、課題はいくらか残されたものの、本年度も昨年度に続き、おおむね本研究を順調に進展させることができたと考えている。今後は以上を踏まえ、得られた成果を査読論文としてまとめ、投稿することが重要な課題である。
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今後の研究の推進方策 |
次年度は本年度の研究を踏まえ、引き続き本研究の中心的な課題である「非自然的なもの」の衰退過程・要因を解明すべく、以下の研究を実施する。 まず、本年度も引き続き無知学の研究・紹介を行う。本研究課題にとって「無知」(知識の抑圧や忘却を含む)の形成のメカニズムに関する無知学の知見は大いに役立つものである。また近年、国内外で無知学に関する関心も高まり、関連文献が相次いで出版されている。本年度はそれらの文献を読み込むことで、よりアップデートされた無知学の知見を本研究に取り入れるとともに、また本研究を通じて、無知学の理論的深化にも貢献したいと考えている。その成果は『科学史研究』『科学技術社会論研究』等に投稿する。 また、医学史・植物学史に関しては、昨年度に引き続き西洋の特に中近世の文献(とりわけ本年度取り組めなかった16世紀後半以降の医学教科書や、民間に普及した「青本」など)を読み進めるとともに、それらを中国や日本などの「東洋」の医学・植物学の歴史と比較する。西洋において「非自然的なもの」(養生術的な知)が衰退し去った後も、「東洋」においては、近代化による西洋医学・植物学の導入まで、それに相当するものは生き残っていた。そこで「非自然的なもの」の西洋における衰退の要因を解明するためには、その「東洋」における趨勢との比較が有効であると考えられる。これはかつて科学史家ジョゼフ・ニーダムが発した「近代科学はなぜ西洋でのみ生まれ、中国では生まれなかったのか」という問い(ニーダム・クエスチョン)に、いわば裏側から取り組むことである。その成果は国内外での学会で発表し、『Historia scientiarum』『生物学史研究』『哲学・科学史論叢』等に投稿する。
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