研究課題
今年度は、申請者が見出した栄養環境に応答した腸内分泌細胞の脱分化現象について、(1)そのメカニズムを明らかにするとともに、(2)腸管のサイズ増大に脱分化を用いる生理学的意義に迫った。(1)に関しては、栄養応答型の脱分化を促進するシグナル経路の探索を行った。腸管幹細胞の分裂や分化を制御することが知られているシグナル経路の因子をRNAi法でノックダウンし、内分泌細胞の細胞系譜追跡実験を行った。その結果、JAK-STAT経路の阻害が脱分化を抑制することを見出した。さらに、脱分化誘導に必要な栄養素として前年度に見出した糖とアミノ酸がJAK-STAT経路の遺伝子発現を制御していること、脱分化を起こす内分泌細胞の亜群であるAstC陽性のポピュレーションでJAK-STAT経路が特に活性化していることを示した。以上から、栄養環境の変動に応答した内分泌細胞の脱分化にJAK-STAT経路が重要であることが明らかとなった。(2)について、通常の腸管幹細胞と、内分泌細胞の脱分化に由来する腸管幹細胞の振る舞いを細胞系譜追跡実験により比較した。その結果、脱分化由来の幹細胞は、食物の消化吸収に機能するエンテロサイトへと分化しやすいことを見出した。また、腸管サイズ増大における各細胞種の細胞数変動に関する数理モデルを構築し、脱分化の有無が与える影響をシミュレーションした。その結果、脱分化を用いない場合、エンテロサイトの増加が遅延することが明らかとなった。以上から、脱分化はエンテロサイトの新生を促進することで腸管の消化吸収能力を効率的に高める役割を果たしていることが示唆された。
1: 当初の計画以上に進展している
申請者はこれまでに、ショウジョウバエをモデルとして、栄養摂取に応じた腸管の適応成長において腸内分泌細胞が腸管幹細胞へと脱分化することを発見している。今年度に見出した脱分化のメカニズムと生理的意義は細胞・個体レベルの生物学、生理学において重要な知見であり、ハイインパクトジャーナルへの受理や研究集会での受賞など、特筆すべき成果を挙げた。メカニズムに関して、内分泌細胞におけるJAK-STAT経路の活性化が脱分化の誘導に重要であることを見出した。JAK-STAT経路が運命転換に寄与することは、本研究の論文受理と同時期にマウスの脳や肝臓の損傷再生においても報告されている。本研究の発見は、JAK-STAT経路が損傷再生のみならず栄養環境に応じた細胞運命の可塑性をも制御していることを示したものであり、幹細胞生物学における重要な発見といえる。生理的意義に関して、脱分化由来の腸管幹細胞が通常の腸管幹細胞とは異なる分化バイアスを発揮し、効率的な腸管サイズ増大を促進していることを明らかにした。近年の1細胞解析技術の発展により、幹細胞多様性の存在は多くの組織幹細胞において認められているが、多様性が形成される仕組みはほとんど理解されていない。本研究では細胞系譜追跡技術を用いた綿密な組織観察から脱分化が多様性形成に繋がることを見出しており、独自性の高い発見である。本研究から得られた研究成果は今年度 Developmental Cell誌へ掲載され、研究集会においても優秀賞が授与された。以上のことから、当初の計画を大いに上回る進展があったと考えている。
これまでに本研究では、栄養環境に応じたショウジョウバエ腸管のリモデリングをモデル系に、生理的な栄養環境変化に応じて細胞の運命転換が起こること、またそのメカニズムと生理的意義を明らかにしてきた。組織のリモデリングは生殖、温度などの生理刺激に対しても誘導され、そうしたコンテクストでも細胞の運命転換が発揮されるかを解析することで、分化可塑性の普遍原理および刺激ごとの差異に迫っていくことができる。また、細胞の運命変換は線虫、ゼブラフィッシュ、マウスなどのショウジョウバエ以外の動物モデルでも観察されている。さらに、植物は特に損傷再生のコンテクストにおいて極めて高い細胞可塑性を発揮することが知られている。本研究で見出した生理的な環境刺激に応じた細胞運命の転換がショウジョウバエ以外の生物種でどの程度見られるか、メカニズムや環境適応における意義に生物ごとの特色が見られるか、比較解析を行うことで分化可塑性の進化的知見を得られる。特にメカニズムに関して、細胞リプログラミングにはエピジェネティックな変化が関与することが知られている。エピゲノム制御機構は種間での保存性や差異に関する知見が蓄積されており、運命可塑性との関連を解析することが重要であると考えている。
今年度は論文の執筆、査読コメントへの対応など、比較的物品費への依存度が小さい活動が多かった。また、申請者は研究課題の進展のため Institute of Science and Technology Austria へ渡航し、次年度には更なる研究活動の活発化が見込まれる。以上を踏まえ、渡航先での研究活動費に充てるため、次年度使用額を計上した。
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Developmental Cell
巻: 58 ページ: 1764~1781.e10
10.1016/j.devcel.2023.08.022