最終年度に当たる今年度は、律令制施行当初の中央政府が地方官人の活動をいかに把握したかという課題を設定した。特に本研究が対象とする各地の雑任に関しては、八世紀代から中央発出の史料に散見するものの、それらの総体的な位置づけには至っていなかった。分析の結果、当該期の正史である『続日本紀』の記事において、雑任をめぐる諸政策を意図的に省略、削除する方針がとられていたのではないかという見通しを得た。当時の中央政府は彼ら雑任層を地方支配において不可欠な存在と捉えながら、瑣事として正史に載録することはしなかったといえ、雑任をめぐる既往の研究も、上記の事情を踏まえた再検討の必要が生じたと結論できる。こうした見方は当該期の正史編纂の問題とも深く関わる論点であり、隣接諸分野への援用も期待できよう。なお、これらの私見の一部は、「『続日本紀』の記事省略をめぐる試論」という題目で口頭報告を行った。 また研究期間全体を通じて、同時期の地方支配諸政策との結びつきという観点から雑任層の編成原理および展開過程を論究した。調庸制や班田制、文書行政といった律令制のシステムを完遂する上で雑任層の存在は不可欠であり、そうした地域社会の諸相を動態的に把握することができた。さらに、雑任の活動が確認される時期と対称的な様相を呈する刀禰や「所」制の分析を基に、中世社会への歴史的展開の中で雑任と称される存在がどのように把握、編成されたかを展望した。現段階では試論にとどまるものの、当時の地域社会編成を論じる際に不可欠とされる郡司層や富豪層といった分析視角との関連を踏まえた雑任層の位置づけの必要性など、本研究の課題を整理するに至った。
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