当該年度は、前年度に国外で収集した二つのローカル新聞の検討を行った。一つは1950年代前半にマラティヤ県で発行された『正しい道』紙である。これまでの先行研究で1950年代の地方紙の中には、それまでの世俗的な政策への反発から、スンニー系のイスラム的言説に接近する傾向が見られたものがあったことが明らかにされていたが、本新聞では、マラティヤという多民族多宗教的な地域的事情から、少数派アレヴィーに接近しフォローする言説が見られることが確認された。これはこれまでの地方紙研究ではあまり指摘されてこなかった注目されるべき点であろう。またその際、単に記者の持論が展開されるにとどまらず、ライバル紙と思しき他紙に対抗する形で書かれていたことは、スンニー/アレヴィーを巡る政治的対立がこの時期地方でもすでにあったことを示唆していると言える。もう一つの検討対象は、1940年代後半から1950年代前半にかけて、南東部・東部出身者を中心にイスタンブルで発行された『ティグリス川の源』紙である。一般的な事件を取り扱う全国紙や、中央で起こった事件や国際情勢を地方に伝えた多くの地方新聞とは異なり、むしろ逆に東部・南東部で起こった事件に関する情報を、同地域の出身者たちが中心となって共有するという性質が、この新聞からは確認された。と同時にその際も、記事の端々から共和国体制に反抗しているとは見なされ得ないように配慮している形跡がみられたことからも、この新聞自体がある種の政治的駆け引きがなされた場であったと指摘できるだろう。
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