研究課題/領域番号 |
22J00322
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
田中 悠子 九州大学, 人文科学研究院, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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キーワード | イスラーム初期史 / イスラーム初期における他者 / 論駁 / デジタル・ヒューマニティーズ |
研究実績の概要 |
本研究は、多様な思想が混在するイスラーム初期社会の集団的自己形成過程を、「他者」性の照射としての「論駁(radd)」という行為から捉え直すものである。具体的には、8~11世紀の論駁書の分析から、様々なレベルでの「他者」との邂逅がどのような意味を持ったかを考察する。本研究は、「(1)8~11世紀に活躍した約4000人の学者の文献情報から論駁書の書籍情報抽出し、これらの時代の論駁-被論駁関係を示す世紀ごとの相関図を作成することにより論駁-被論駁関係を可視化する」、「(2)デジタル・ヒューマニティーズ(DH)の手法による各時代の論駁書の傾向分析」、「(3) 論駁書の内容が同時代や後代の学者らに受容・利用されていく過程の解明」という、三つの段階で構成される。 本年度は1月1日からの採用であり、3か月間という短い期間でまとまりのある成果を出すには至っていないが、順当に研究の第一段階に着手している。具体的には、第一段階で予定されている8~9世紀の論駁書の書誌分析のうち、8世紀に著された論駁書をイブン・アル=ナディーム(d. 990)著『フィフリスト』から抽出し、著者の立場や書名から論駁の方向性(どの立場からどの立場への論駁か)を特定し、表にまとめている。8世紀の書誌史料は少ないが、それだけに当該世紀のムスリム諸学者らが自らの宗教・文化・歴史の輪郭をどのように捉えていたのかという研究は足りておらず、本研究は、イスラーム初期史研究におけるそうした不明部分を補うという意味で、意義ある研究となっていると思われる。 また、研究の第二段階の準備として、ロンドンのキターブ・プロジェクトが提供するOpen ITI を中心にアラビア語論駁書のテキストデータをダウンロードし、DH手法によるテキスト分析の準備を進めている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究課題は全三段階に分かれており、当初の計画では、2022年度に「(研究1)8~11世紀に活躍した約4000人の学者の文献情報から論駁書の書籍情報抽出し、これらの時代の論駁-被論駁関係を示す世紀ごとの相関図を作成することにより論駁-被論駁関係を可視化する」に取り組み、完成させる予定であった。コロナ事由による採用延期により、2022年度の研究期間が3か月間しかなかったこともあり、当該年度に予定された研究を終えるには至っていないが、1月からの3か月間で8世紀の論駁書の書誌情報を整理できたことは、採用開始時期のズレを考慮すれば、おおむね順調な進捗であると考えられる。 イブン・アル=ナディーム(d. 990)著『フィフリスト』に記載された8世紀の論駁書の書誌情報からは、8世紀においてはキリスト教(なかでも三位一体論)やマニ教をはじめとした二元論などの他宗教への論駁書と、ジャフム派といったイスラーム内部の諸派への論駁書が混在しており、この時点でのイスラームの宗教としての輪郭の曖昧性が見て取れる。一方で本調査からは、諸論駁書において常に大きな問題となるのは「神の一体性(すなわちタウヒード)」をめぐる議論であることも示唆され、これが最初期のイスラーム神学における中心的関心事であったことが確認された。このことは、最初期のムスリム集団が自らの宗教をどのように捉えていたのかを論じるうえで、重要なヒントになると考えられる。以上の分析結果を明示化するため、8世紀の「論駁-被論駁」関係を表す相関図を作成中である。
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今後の研究の推進方策 |
2023年度はまず、前年度成果の取りまとめとして、8世紀における論駁と他者観の諸相についての口頭報告を、7-10世紀西洋-イスラーム世界の横断研究を目的とする研究会で行い、イスラーム地域に隣接するビザンツをはじめとするキリスト教世界の専門家らのコメントと助言を受ける。12月末までに9~11世紀の論駁書の書誌史料調査を終わらせ、研究1を完成させる。 2024年1月からは、「(研究2)デジタル・ヒューマニティーズ(DH)の手法による各時代の論駁書の傾向分析」にとりかかる。具体的には、アラビア語論駁書のテキストデータにおいて、人名・特徴的用語や文型・引用文などの諸要素をマークアップし、要素を一覧にして比較することにより、諸論駁書のスタイル上の共通点や差異を見出していく計画である。アラビア語文献研究におけるDH手法の活用方法は未だ未成立の分野であり、各研究者によって模索が続けられている。そのような先駆的な分野に着手するにあたり、データの取り扱いに関する様々な困難が持ち上がることが予想されるが、申請者は既にイスラーム関係史料におけるDHの活用法を共有・議論する研究グループに所属しており、逐次この研究グループにおいて他の研究者の助言を受けることによって、独自の方法論の確立を目指す。このテキストデータ分析のため、すでにOpen ITIからのダウンロードを進めているが、今後も他のアーカイブも含めて調査し、入手可能な限りイスラーム初期の論駁書のテキストデータを収集する予定である。 9月にはイスタンブールのアヤ・ソフィア及びアンカラ大学図書館での現地調査を実施し、イスラーム初期論駁書や関連史料の保存状況の実態調査と収集を行う。また11月には、キリスト教・仏教といった他地域・宗教における論駁(書)の知見を持つ研究者を招いて研究会を開催し、横断的議論により「論駁」と「他者」理解の深化を目指す。
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