本年度は、ニーチェの権力への意志説とショーペンハウアーの意志形而上学とを、主に両者の存在論的側面に関して対比した。 ニーチェがショーペンハウアーを自らの先駆者であり、かつ最大の論敵と見なしていたことは夙に指摘されてきた。しかし、これまで両者の思想の比較検討は主に倫理学的側面に集中し、存在論という根本的なレベルではほとんど行われていない。それどころか、近年ではニーチェの権力への意志説は心理学的側面ばかりが注目され、その存在論的側面に関しては等閑に付されるようになっている。同様に、ショーペンハウアーの意志形而上学についても、カントの超越論的哲学を継承した認識論として解釈し直す傾向が盛んになるにつれ、その存在論的側面はほとんど無視されていると言わざるを得ない。 それに対して本研究は、ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』正編第二巻に基づいて、彼の意志の存在論について再考した。その結果、ショーペンハウアーが、カントの超越論的哲学の問題設定を引き継ぎつつも、彼独自の方法論に従って意志の存在論を主張していることが明らかになった。ショーペンハウアーが主張する存在論的な意志とは、カントの認識論には収まり切らない世界の側面を、カントの認識論に矛盾しない仕方で説明するための「説明原理」であったと言える。 次に本研究は、上で得られた成果をニーチェの権力への意志の存在論に適応した。その結果、ニーチェの権力への意志もまた、ショーペンハウアーとは異なる仕方でではあるが、世界を包括的に説明するための説明原理であることが明らかになった。それによって、説明原理の優劣という新たな観点から、ニーチェの権力への意志説とショーペンハウアーの意志形而上学をさらに比較検討する可能性が開かれた。
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