研究課題/領域番号 |
21J21856
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
田渕 舜也 慶應義塾大学, 法学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2021-04-28 – 2024-03-31
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キーワード | 政治思想 / 新カント学派 / 南原繁 / 政治哲学 / 尾高朝雄 / 社会契約論 / 価値哲学 / 現象学 |
研究実績の概要 |
令和4年度は福田歓一の社会契約説研究の成立過程の解明と、南原繁と尾高朝雄との関係について特に研究した。 福田についての研究成果は『政治思想研究第23号』(2023年5月頃)にて論文「「政治哲学としての社会契約説」の誕生」として発表が予定されている。本論文では昨年度より懸案事項であった、福田の社会契約説研究と時論的発言や市民社会論との関係性をできる限り盛り込むことができた。その結果、福田が安保闘争を社会契約の契機の一つと見なしていたことが明らかになり、これまで見過ごされてきた戦後思想における福田の立ち位置の一端を示すことができた。また、この研究に付随して福田と永井陽之助との関係という新たな知見を得ることができ、戦後政治学における「政治科学」の特異性といった新たな論点を発見することができた。この点については今後の研究課題としたい。 南原と尾高との関係については、南原繁研究会第二二〇回(2022年11月16日)において「南原繁と尾高朝雄」との題で発表した。南原による尾高批判はこれまで尾高研究においては簡単に触れられていた論点であったが、南原研究においてはこれまで殆ど注目されてこなかった。本発表では新カント学派の価値哲学の立場を取る南原から、現象学の立場を取る尾高を検討した。その結果、南原は存在と当為を厳しく峻別する価値哲学の立場から当為(規範)から存在(現実)を構成した一方で、現象学の立場に立つ尾高は存在(現実)から当為(規範)を構成せざるを得ず、そうした立場の相違が大東亜共栄圏という歴史的現実を南原が拒絶した一方で、尾高がそれを追認せざるを得なかったことを明らかにした。また、そうした哲学方法論の違いが戦時中における両者のフィヒテ解釈にも影響を与え、大東亜共栄圏を崩壊させかねないフィヒテの民族論を南原は語ることができた一方で、民族論を回避する尾高という違いを生んだことを指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
令和4年度は次の三点にわたって研究を注力し、論文化すると前年度に計画していた。一つめは、リッカートの政治性についてより詳しく掘り下げたもの、二つめは、南原と田辺の関係性を両者のエミール・ラスクとの関係性も含めて包括的に描いたもの、三つめは、福田の社会契約説研究と彼の時論的発言と市民社会論との関係性を描いたものである。 三つめについては『政治思想研究第23号』に掲載が決定されたため順調に研究を進めることができたが、残り二つについては思うように研究を進めることができなかった。 一つめのリッカートの政治性については、リッカートの政治化の原因が彼の弟子に当たるマルティン・ハイデッガーの国民社会主義ドイツ労働者党への政治的関与にその遠因がある可能性が出てきたため、それを明らかにするための研究負担が大幅に増大したことから昨年度中の論文化を延期することになった。 二つめの南原と田辺の関係性をラスクも含めて包括的に検討する作業は、先に南原と尾高との関係性を明らかにしてから取りかかる必要が出てきたことから延期することになった。南原による田辺批判のそもそもの原点には尾高がいたと考えられる。尾高は京都学派から影響を受けていたが、特に田辺を自著の中で幾度も好意的に引用している。そのため、まずは南原による尾高批判を検討し、その成果を踏まえて南原、田辺、ラスクの関係性に取り組むことにしたい。 また、研究計画では南原や福田を知る関係者から聞き取りといった調査を開始する予定であったが、コロナ禍によって少数の証言しか集めることができなかった。 本年度は査読付き論文を一本発表することができたため、一定程度の成果はあったと評価できるものの、事前の想定と比べるならば研究の遅れがみられ、またコロナ禍といった偶発的な事情によって調査が行えなかったことから、全体として研究の進捗は「やや遅れている」と判断した。
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今後の研究の推進方策 |
研究最終年度となる本年度は特に三つの点に集中して研究し、業績として成果を残したい。一つめは長らく懸案事項であるリッカートの政治化について一応の結論を出したい。ハイデッガーとの関係など考慮すべきことが数多いが、研究の過程で発見した北昤吉や安倍能成といった日本人によるリッカートの政治評も踏まえることで、ドイツの先行研究ではこれまで触れられていなかった部分を補ってリッカートの政治的性格を再構成したい。なお、本研究成果は『日本カント研究』に投稿予定である。 二つめは南原と尾高との関係について論文化することで、その後に控える南原、田辺、ラスクの関係性に取り組みたい。また、戦時中における南原の言論戦略にも注目したい。南原の田辺批判は蓑田胸喜といった右翼思想家の存在も考慮してなされた可能性がある。哲学的な次元だけに注目するのではなく、南原、京都学派、原理日本社が織りなす複雑な言論空間にも目を向けたい。なお、南原と尾高との関係については『社会思想史研究』に投稿予定である。また、尾高が講義中に発したとされる南原批判に関わる証言も論文に組み込みたい。 三つめは、日本カント協会の企画「カントと21世紀の平和論」に合わせて南原のカント哲学に基づいた平和論について発表をすると共に、同企画に論文を投稿する予定である。日本カント協会はカント生誕300年記念の一環として、研究集会「カントと21世紀の永遠平和論」を開催する。そこで、東京帝国大学において最初の西洋政治思想研究者で、しかも最初の講義でカントの『永遠平和のために』を取り上げた南原のカント研究についてまとめ、同研究集会でその成果を発表する予定である。南原のカント研究は南原政治哲学の基礎になっただけでなく、戦後の日本国憲法九条についての議論にまでその影響は及んでいる。南原の積極的平和論の現代的意義を述べることで、21世紀の歴史的現実に応答を試みたい。
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