研究課題/領域番号 |
23310180
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研究種目 |
基盤研究(B)
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
DYBOVSKI A 大阪大学, 大学院・言語文化研究科, 教授 (70252723)
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研究分担者 |
生田 美智子 大阪大学, 大学院・言語文化研究科, 教授 (40304068)
ヨコタ村上 孝之 大阪大学, 大学院・言語文化研究科, 准教授 (00200270)
藤本 和貴夫 大阪経済法科大学, 教養部, 学長 (70029734)
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キーワード | 国立極東大学の日本学 / ロシアの日本学者 / 極東ロシアと日本 / 日本像・日本人像 |
研究概要 |
平成23年度、国立連邦大学の日本語講座に関係のある人物を焦点に日本、中国、ロシア、EU諸国等において資料を収集し、分析した。研究代表者のディボフスキーは、ウラジオストクで沿海地方古文書館、ゴーゴリ名称公立図書館等で、国立極東大学教授であったK.A.Harnskyの教育・学術活動についての資料を収集し、沿海地方新聞『赤旗』の紙上での時評家としてのその役割及びそのテキストの特殊性を明らかにした。日本では、1920-1930年代の新聞を調査し、国立極東大学の卒業生A.レイフェルトの日本滞在、待にその漫画についての資料を収集し、2012年1月28日大阪大学言語文化研究科で開催された日露研究会「極東ロシアにおける日本学の行方」等において研究成果について報告した。 研究分担者の生田は、ハルビンのロシア・ディアスポラ関連の日本学者についての資料を収集した。ハバロフスクとモスクワの古文書館等で、国立極東大学関連の史料を閲覧し、ロシアの研究者と知見交換した。ヨコタ村上は、日本文学研究に関連する史実を調査した。ポーランド国ウッチ市歴史博物館で、ウラジオストク出身のユダヤ系ロシア詩人で、極東国立大学における日本学と縁の深かったニコライ・マトヴェーエフの孫、ベネディクト・マルトの子であるイヴァン・エラーギン関係の資料を閲覧し、ミュンヘンではドイツ博物館公文書館にてイヴァン・エラーギンが収容されていたDP収容所の資料を閲覧・収集し、ミュンヘン大学にて行われた、国際比較文学会文学理論分科会ワークショップで、「極東ロシアにおける日本学の行方」に関わる、成果報告の発表を行った。藤本は、東洋学院初代日本語学科教授スパルヴィンの最後の2年間を、黒竜江省社会科学院の研究者の協力をえてハルビンで調査した。またウラジオストクとハバロフスクでロシア科学アカデミーの研究者と極東ロシアの日本学についての情報交換を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
国立沿海地方公文書館の移転に伴う6カ月以上にわたる閉鎖により、ウラジオストクでの調査は、やや遅れているが、その代わりモスクワ、ハバロフスク、EU諸国及びハルビンにおける調査は当初の計画以上に進展している。
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今後の研究の推進方策 |
まず、移転後公開された国立沿海地方公文書館の資料を閲覧し、国立極東大学時代の東洋学の雑誌の発掘をつづける。国立極東大学の日本語講座の教員一人一人の生涯についての資料を収集し、その教育・研究・社会活動を究明し、研究業績や日本語教材を総合的に評価する。さらに当時の政治情勢や日露関係を検討した上で日本人や日本とのつながりを明らかにする。1920-1930時代の極東ロシアの日本学の全貌を把握し、ロシア(ソ連)の日本学の中で位置付け、その意義と役割を評価する。それと同時に同期間の教材やマスコミにおける日本像や日本人像を明らかにし、日本で出版された第2次世界大戦前のロシア語教科書、当時の日本のマスメディアのロシア・ソ連人像と比較する。
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