研究課題/領域番号 |
23310180
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
A Dybovski 大阪大学, 言語文化研究科(研究院), 教授 (70252723)
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研究分担者 |
ヨコタ村上 孝之 大阪大学, 言語文化研究科(研究院), 准教授 (00200270)
藤本 和貴夫 大阪経済法科大学, 教養部, 学長 (70029734)
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研究期間 (年度) |
2011-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 日本学史 / 極東ロシアの日本学 / 『東洋スタディオ』 / ロシアの日本学者 / E.スパルヴィン / K.ハルヌスキー / A.レイフェルト / N.マツォキン |
研究概要 |
沿海地方国立公文書館、ロシア科学アカデミー歴史考古学民俗学研究所の公文章館等の資料を分析し、『新東洋学』、『東洋スタディオ』、『アジア通報』、『満州通報』、『国立極東大学紀要』等の1920-30年代の東洋学の雑誌を調べて、極東ロシアの日本学に関するデータを収集した。国立極東大学の日本語講座の教員の生涯についての資料を収集し、その著作や日本語教材を分析した。1920-30年代の沿海地方紙『赤旗』における日本と日本人のイメージについての調査を実施した。ロシア科学アカデミー歴史考古学民俗学研究所の公文書館にて、K.ハルヌスキー婦人であったE.グロモコフスカヤの晩年の回想録等の新資料を発見し、K.ハルヌスキーの創作活動を見直す資料を入手し、先年発表した同氏の業績リストを修正した。 藤本は、東洋学院と国立極東大学との繋がりを究明し、スパルヴィン教授を助けて、東洋学院で最初の日本語のネイティヴスピーカとして活躍した、東京外国語学校ドイツ語出身の前田清次の業績と、その不幸な死に対する東洋学院の評価について明らかにすることができた。ヨコタ村上は、英国ほかに出張し、大英図書館、カリニングラード州立図書館、カウナス州立公文書館、モルドヴァ国立図書館にてロシアの日本学に関する資料を閲覧し、米国サンフランシスコ及びシアトルにて極東ロシアの学芸に関する公文書館の資料を収集した。研究協力者の生田は、サンクト・ペテルブルグにてN.ネフスキーやN.マツォキンについての新資料を入手することができ、A.ディボフスキーは、研究協力者Z.モルグンとの共同研究として1920年代の国立極東大学東洋学部の雑誌『東洋スタディオ』の内容を分析し、当雑誌の設立の経緯及びその刊行におけるE.スパルヴィンの役割を明らかにした。 このように、極東ロシアの日本学の実態を把握することにおいて若干前進した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
沿海地方国立公文書館やロシア科学アカデミー歴史考古学民俗学研究所の公文書館の日本学に係わる資料の閲覧を終え、1920-30年代の極東ロシアで出版された東洋学雑誌の調査や沿海地方紙『赤旗』における日本や日本人のイメージに関する調査を完成し、K.ハルヌスキー、N.マツォキン、A.レイフェルトその他の極東ロシアの日本学者に関する新資料を発見した。研究協力者であるZ.モルグンとの共同研究として1920年代の国立連邦大学東洋学部の雑誌『東洋スタディオ』の全22号を入手し、その設立の構想や刊行の経緯を究明した。当雑誌に掲載された記事や論文の内容を分析し、その編集や刊行におけるE.スパルヴィン博士の役割を明らかにした。 日本とロシアの国外でも極東ロシアの日本学者やその側近者についての資料収集を続け、大阪大学大学院言語文化研究科において2回(2012年11月16日、2013年2月8日)研究会「極東ロシアにおける日本学」を開催し、平成24年度、本研究課題に関し、2点の査読のある論文を含め、6点の学術論文を刊行した。 先年、本研究チームが提起した問題(ロシアの最初のプロフェッショナル日本学者は、いったいだれだったか)に関するディスカッションは、ウラジオストクで出版されている極東ロシアの科学アカデミーの雑誌の紙上で続いている("Россия и АТР"『ロシアとアジア太平洋地域』2012年 4号 Pp. 195-196)。
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今後の研究の推進方策 |
まず、約2年間にわたり、資料整理のため閉館されていた在ウラジオストク国立極東公文書館の資料を閲覧する。特に、国立極東大学の日本語講座の教員の職歴や授業科目のカリキュラム及び当大学における日本語教育に関する資料を収集し続け、分析する。 極東ロシアの日本学者の活躍及び日本人との交流に焦点を当て、その日本学者の教育研究業績や生涯の経緯をさらに究明し続け、ロシアの日本学における極東ロシアの日本学の意義と役割を明らかにする。とりわけ、1920-30年代の日本学における中央と地方の学術交流や摩擦、マルクス主義的イデオロギーを武器にした思想闘争などに焦点を当てる。そのためウラジオストク、サンクトペテルブルク、モスクワなどの図書館、公文書館への調査旅行を実施する。 中国のハルビンなどアジア、アメリカ、ヨーロッパにおいても極東ロシアの日本学者の事跡を追及し続ける。 2013年の12月に日本やロシアの研究協力者と共に、E.スパルヴィン、K.ハルヌスキー、N.マツォキンその他の極東ロシアの日本学者についての新資料を紹介する極東ロシアの東洋学についての論文集を編纂し、2014年の3月に刊行する。
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