研究課題/領域番号 |
23320007
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
安孫子 信 法政大学, 文学部, 教授 (70212537)
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研究分担者 |
杉村 靖彦 京都大学, 文学研究科, 准教授 (20303795)
合田 正人 明治大学, 文学部, 教授 (60170445)
檜垣 立哉 大阪大学, 人間科学研究科, 教授 (70242071)
藤田 尚志 九州産業大学, 国際文化学部, 講師 (80552207)
金森 修 東京大学, 情報学環, 教授 (90192541)
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研究期間 (年度) |
2011-04-01 – 2014-03-31
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キーワード | 思想史 / 哲学 / 倫理学 / 宗教学 / フランス思想 / 生の哲学 / 科学技術論 / 生政治 |
研究概要 |
ベルクソン哲学の現代的意味を国際協働の枠組みで追及する本研究は,とくに第4の主著である『道徳と宗教の二源泉』に定位してのものであるが,本年度の最大の成果は,この書を先立つ19世紀思想との対比において幅広く検討した「反時代的考察―ベルクソンと19世紀フランス哲学」と題する一連のシンポジウムを,4日間,国内2箇所で,成功裏に実施しえたことである.シンポジウムでは,内外からの17名が,人間諸科学を含む19世紀の実証科学,またスピリチュアリズム,実証主義,プラグマティズムなど19世紀諸思潮との対比で,『二源泉』の検討を行い,この書の革新性の究明を行っていった.他方,研究成果の公表と社会への還元ということでも,本年度は大きな成果が得られた.すなわち,昨年2011年度に東日本大震災を受けて「ベルクソンと災厄」のタイトルで,国内3箇所,3日間にわたり,内外からの17名によって行われた『二源泉』の現代的意味を問うシンポジウムの報告集が,本年度,Annales bergsoniennes VI(Shin Abiko, Arnaud Francois et Camille Riquier (eds.), PUF)に収められるという形で,出版公表されたのである.発表の場とスピードの双方からして,われわれの研究が国際協働という広がりにおいて,また現代的意味を問うという時宜性において,ともに一定の評価を得たこととして報告したい.さらに付言すれば,遡って,第3の主著『創造的真進化』を論じた前回科研での2007年度シンポジウム「生の哲学の今」の報告集も,本年度,Disseminations de L'evolution creatrice de Bergson (Shin Abiko, Hisashi Fujita et Naoki Sugiyama (eds.), OLMS)の形で出版された.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『二源泉』の現代的意味を徹底的に究明するという当初目標を,3カ年の中では,(a)<現在>・(b)<過去>・(c)<未来>をキーワードとして区切って行なっているが,(a)初年度2011年度には,『二源泉』が<現在>に何を語るかが追及された.それは,東日本大震災がわれわれに突きつけた,自然が行う大破壊,そして人為が行う大破壊と人間との関係の問題を,『二源泉』を置いて全面的に考究する形で行われた.広く確認されたのは『二源泉』が,一方で,ここまでに無慈悲に破壊的な自然の振る舞いの問題をすでに徹底して踏まえていて,なおかつ「オプティミズム」をもってそれに答えようとしていること,また他方,ここまでに無思慮に破壊的な人為(科学技術)の振る舞いの問題もまた同様に徹底して踏まえていて,なおかつ(大きくは)「機械化」をもってこれに答えようとしていることであった.この際,この「オプティミズム」にも「機械化」にも複雑に留保とニュアンスが絡みついていて,それらこそが問題であり,それらについても,われわれの研究は一定の理解を与ええたと考える.(b)本年度2012年度には,『二源泉』が<過去>から何を受け継ぎ,<過去>に何を新たにもたらしたのかが問題とされた.ここでは<過去>は直近の19世紀に限定して扱われた.19世紀の精神的活動の諸相,諸分野が幅広くに対置され,『二源泉』との近さ遠さとが測られていった.ベルクソン自身が指摘しているように(「可能性と事象性」),このような作業はとかく’先駆’を発見していくのであるが,それでもコント,ルヌヴィエ,タルド,レヴィ=ブリュル,トクヴィルらとベルクソンとの’予期せぬ近さ’が次々に指摘されていった.ただここでも問題はその近さへの留保とニュアンスであって,それらをこそ論じて,われわれは19世紀に対しての『二源泉』の一定の位置づけを果し得たと考える.
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今後の研究の推進方策 |
科研課題研究3年目2013年度は総括の年であり,総括は『二源泉』を(c)<未来>との関わりで論じる形で行われていく.そして,この<未来>を一定枠付けるものとして「日本」が置かれることになっている.『二源泉』の,そしてひいてはベルクソンの,新たな理解・解釈の可能性を「日本」が開いていくということがあるのか否か,それが課題である.この場合の「日本」はもとより非常に広い意味で掲げられている.すでに決定済みのこととして,課題研究の毎年の主要なイヴェントである国際協働のシンポジウムは,最終年度は,パリのエコール・ノルマルで11月6,7,8日の3日間にわたって開催される予定である.またシンポジウム後にはわれわれ科研チームは,リール市で行われる,シテ・フィロの催しに11月9,10日と招かれて参加する予定である(シテ・フィロ本年度のテーマが「日本」).チームとして参加するわれわれの発表や議論が,両地で一定の反響や評価を得られるのか否かは,「日本」が,『二源泉』研究,ひいてはベルクソン研究において,世界に通用する役割を担っていけるかどうかの,一つの試金石ともなるであろう.そしてそこで扱われるテーマも原則,「日本」に関わるはずのものであって,そのようなテーマ設定が,ベルクソンをめぐって,結果として,これまでに前例がないような国際協働のシンポジウムをパリで実現させていくとすれば,「日本」は,『二源泉』研究の,そしてひいてはベルクソン研究の,一つの<未来>を国際的に開くものともなっていこう.さらに,もしこの方向で上首尾な結果が得られれば,シンポジウムのアクトの出版公刊という形での,研究成果の社会への還元も,これまで通り為されていくであろう.
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