研究課題/領域番号 |
23320136
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
飯塚 一幸 大阪大学, 文学研究科, 教授 (50259892)
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研究分担者 |
村田 路人 大阪大学, 文学研究科, 教授 (40144414)
宇野田 尚哉 大阪大学, 文学研究科, 准教授 (50324893)
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研究期間 (年度) |
2011-11-18 – 2014-03-31
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キーワード | 日本史 / 近世史 / 思想史 / 水戸藩 / 水戸学 / 会沢正志斎 |
研究概要 |
大阪大学の日本史研究室が所蔵する湯浅文庫には、後期水戸学の大家会沢正志斎の書簡が400通近く含まれている。本研究の目的の第一は、これらの書簡を『会沢正志斎書簡集』として刊行することである。また、東京大学史料編纂所が有する会沢書簡の写本も湯浅文庫の一部と判明したので、これらも書簡集に含めることにした。現在、出版へ向けて再校を返却したところである。 本研究の第二の目的は、会沢書簡の来歴と性格の究明である。会沢書簡は、1952年に大阪大学が兵庫県芦屋市の湯浅九市のコレクションを購入した中に含まれる。湯浅は東京高等商業を卒業後住友銀行等に勤め、独立して有価証券売買業を営んだ人物である。ところが、東京大学史料編纂所にある会沢書簡の写本の原本は、大阪市の渡辺得次郎所有とわかった。筆写は1938年なので、会沢書簡は敗戦前後に渡辺から湯浅に渡ったと見てよい。書簡の受取人寺門家から渡辺に渡った経緯は不明である。 会沢書簡は水戸の正志斎が江戸在住の弟子で甥の寺門政次郎に送ったものである。水戸徳川家は定府制をとっていて家臣団が二分されており、江戸と水戸の懸隔を防ぐために定期的な飛脚便を設けていた。会沢書簡もこの往復を利用しており、私信であるとともに情報探索書の性格を有していた。 本研究の第三の目的は、後期水戸学の再評価である。会沢書簡からは、①会沢の派閥観が、「政治的な敵と非政治的な自己」という構図の下、政治=悪という定義を付与して敵を一段下に置き、自己の政治性を覆い隠す構造を有していた、②思想の根底に民衆への不信感に基づく身分秩序の維持があり、挙国一致的発想が見られない、③公家の無謀な攘夷論に嫌悪感を持ち、戊午の密勅降下中止への期待感を有するなど、密勅降下以前から激派と鎮派への分裂の流れが伏在していたことが読み取れる。書簡の内容分析は途中であり、書簡集の解題として成果を公表する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
理由
25年度が最終年度であるため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
25年度が最終年度であるため、記入しない。
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