研究代表者楠木賢道は、本研究の成果を単著『江戸の清朝研究』として原稿を完成させ、17世紀初めの清朝建国期・幕府による鎖国推進期、18世紀初めの享保の改革期、19世紀初めのレザノフ来航からゴロウニン事件期、幕末開国期の各時期における江戸時代知識人の清朝に関する研究の視角・成果・水準を明らかにして学界に問う予定であった。またその際研究の進捗状況のため、近代における影響については十分に論を展開できないと考えていたが、『江戸の清朝研究』を執筆する過程で、原稿は完成できなくても、近代における影響について深く探求する必要があると考えるに至り、幕末の江戸の漢学を支えていた知識人のネットワークを明らかにした。さらに、荻生北渓が康熙本『大清会典』を研究して享保の改革の参考資料としたのと同じ方法で、後藤新平は台湾総督府民政長官として臨時台湾調査会に嘉慶本『大清会典』を研究させ台湾統治の参考資料とし、初代満鉄総裁として満鉄調査部に旧慣調査報告を作成させ満鉄経営の参考資料としたが、その後藤が東京市長となったとき、それまでの経験に基づき同じ方法で江戸の自治制を研究させ、東京の市政改革に乗り出したことを明らかにした。 また近藤重蔵『喇嘛考』に関する分析を進め、『江戸の清朝研究』の原稿を補充し、その成果を、中国における滿洲族史研究の中心になりつつある吉林師範大学において招待講演し、質疑応答の成果を原稿にフィードバックすることに努めた。 さらに、黒龍江将軍衙門档案のマイクロフィルムのデジタル化作業を行い、それを用いて調査し、1696-12档冊が康煕帝とガルダンとの戦いを行ったものであること確認し、読み進めた。 研究協力者浪川健治は、『弘前藩御刑法牒』『国日記』を分析し、法運用に明律・清律の影響が強く見られることを明らかにし、その成果を口頭発表した。
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