本研究は、インドネシア共和国西部のスマトラ島とジャワ島の間に位置するジャワ海に浮かぶバンカ島とその周辺島嶼部を中心とする海域に分布する、漂海民セカ族を主たる対象として実施された総合的海洋人類学調査である。セカ族については、オランダ植民地時代より断片的な報告が散見されているが、これまで本格的な調査が人類学者の手により実施されたことはなかった。これは、他の東南アジアの漂海民であるモーケン族やバジョウ集団、リアウ・リンガ諸島のオランラウトなどの調査がかなり集約されてきているという状況と対比すれば、きわめて異例なことである。大きな理由としては、バンカ島やその東のビリトン島においては、早い時期から錫鉱山の開発により植民地化が急速に進展し、セカ族もこうした外的な要因と無縁ではなかったという歴史的な背景や、人類学者の側でもセカ族自体をオランラウト集団の一部族と考え、それほど大きな関心を示してこなかったという事実などを挙げることができる。実際の現地調査によっても、セカ族の歴史的変容と錫鉱山との関係やリンガ諸島との文化上の連関などはより明確になったが、一方でこれまで全く知られてこなかったセカ族の文化徴表が本研究により世界で初めて、民族誌上に登場することになった。平成23年度に本調査が開始された段階で、セカ族の全人口は約900人である。しかし、固有の言語であるセカ語の使い手はすでにその4分の1程度であった。セカ族全体はそれぞれが儀礼集団となっている5部族に分かれ、各部族は10隻強の家船から成る数バンドにより構成されている。関係名称体系は典型的な無系型で、婚姻は厳格な単婚である。しかし、祭りや儀式の際に、反進化論人類学ではその存在が否定されていた乱婚が行われる。セカ族の儀礼はいずれも、精霊の憑依、歌と踊り、歌垣という三段階を経過して進行するが、その後で既婚者未婚者を問わない乱婚が普通に行われる。
|