研究課題/領域番号 |
23500685
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研究機関 | 東京学芸大学 |
研究代表者 |
鈴木 明哲 東京学芸大学, 教育学部, 准教授 (70252947)
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キーワード | 戦後オーストリア / 体育史 / スポーツ史 / 体育施設 / 体育館 / 学習指導要領 / 自然体育 |
研究概要 |
今年度は2回にわたりオーストリアに渡航し、ウィーンにて資料の収集、現地研究者との打ち合わせ等を行った。特に昨年度敢行できなかったオーストリア国立文書館における非常に貴重な連邦教育省文書を閲覧し、必要箇所を複写して日本に持ち帰ることができたのは今年度の大きな成果と言える。そのほかにもウィーン大学スポーツ科学研究所図書館にて、1946年の「学習指導要領」決定過程に関する先行研究及び関連資料を閲覧、コピーすることができた。加えて同研究所ではスポーツ史主任教授のミュルナー博士から研究に関する助言を頂くことができた。 上記のような今年度の資料収集状況ならびに有益な助言を得たことにより、資料の検討、考察段階に進むことができた。しかしながら、当初予定していたアメリカを中心とした占領軍との関係を示唆する史実を見出すことはほとんどできなかった。 だが、今年度収集できた連邦教育省文書を検討、考察した結果、新たな、そしてまた重要な史実を見出すことができた。それは1950年前後、オーストリアにおける多くの州で学校体育実践の遂行に際して、体育館を中心とした体育施設の不備が大きな障害となっていたことである。 また、1946年の「学習指導要領」に関しては、1930年前後に作成された「学習指導要領」をそのままの内容で継続していたに過ぎず、第二次世界大戦後の実質的に新しい「学習指導要領」の発表は占領終結後の1955年を待たなければならなかったことが明らかとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
連邦教育省文書を体系的に収集できたことは大きな成果である。加えて1946年の「学習指導要領」が必ずしも斬新なものではなく、1930年代への回帰であったことも判明し、成果の一つとして指摘可能である。 だが、当初予定していたアメリカを中心とした占領軍との関係がうまく見えてこなかったことは今後の課題であり、資料収集の方向性を再検討する必要がある。
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今後の研究の推進方策 |
今年度の資料収集状況に鑑みて、まずは1950年前後の学校体育実践と体育館を中心とした学校体育施設との関係を検討、考察し、資料を補完しながら、最終的にはオーストリアの学校体育実践にとって、学校体育施設の不備が実は大きな障害であったことを指摘したいと考えている。そのためには再度オーストリアに渡航し、資料の不備を埋めてゆきたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
今年度の残金は78,489円であった。この残金は戦後オーストリア学校体育関連図書の購入に充当する予定であったが、不足が判明したことにより次年度への繰越金としたものである。 次年度もやはり渡航費が大きな比重を占めることになるが、ウィーンを中心としたオーストリアへの1回の渡航を予定している。最終年度にあたるため、研究成果を精力的に学会で口頭報告し、投稿することも予定している。
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