本研究の目的は体育の教育学的意味から教師の観察力を明らかにするものである。体育の教育学的意味を再考すれば、身体意識の問題が浮き彫りとなり、体育教師は身体知を観察する必要に迫られる。全くの原初的直観は認識にとっての始原であり、それはキネステーゼ能力によって見いだされるものである。だから体育教師は内在知覚から超越論的知覚へと現象学的還元をしなければならないのである。すべての「認識されたもの」はいわゆる「内部知覚」を構成するもととなり得るとともに、「熟考された」価値を肯定、否定する等の対象となり得る。「それ」を分析するのが体育教師の観察能力である。
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