研究実績の概要 |
平成26年度は建部賢弘の幕臣・御小納戸役としての公務および徳川吉宗政権下で地図作成業務と測量に携わる様子を『江戸幕府日記』『間部日記』などを詳細に分析し明らかにした。この研究は「三人の徳川将軍に仕えた暦算家建部賢弘」(和算研究所紀要、No.15、2015)として公表。 建部賢弘と中根元圭の交流についても継続して調査した。彼らは享保年間の初めに邂逅するが、その時期を明確に断定することはできなかった。しかし、その後の彼らの関係が濃密であったことを、数学帰納法に関する議論や『綴術算経』の流布などの様子を通じて明らかにした。さらに建部賢弘を徳川吉宗に引き合わせたのが紀州藩士浦上弥五左衛門でっあたことも明らかにした。これらは「建部賢弘と中根元圭」(『数学文化』、No.22、2014)として公表。 中根元圭の研究では、彼は『暦算全書』の訓点和訳を終えた後、京都帰還の際、同書と三角関数表の写しを持ち帰っていた。それら最新の天文暦学情報を参考にして著したものが『八線表算法解義』である。元圭は新数学アイデアを円弧背と『授時暦』研究に応用した。吉宗の命に従って太陽と月までの距離の計算も行った。この研究は『日月去地面実数一巻』に纏められている。このような元圭の晩年の活動を「中根元圭と三角法」(笠谷和比古編『徳川社会と日本の近代化』、思文閣出版、2015)として明らかにした。 また、The International Symposium on Acient hinese Books & Records of Science & Technology(2-18 ctober 2014, CUNY, NewYork)においてWhat did japanese Lerarn from Chinese Books on Western Calendrical Calculation とする講演も行った。
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