研究課題
研究最終年度として、予定項目の不足していた点を中心に本年度は実施した。大陸製作漆器調査では、昨年度2点の放射性炭素年代測定を実施。明~清の値が得られた食籠から採取した3試料は、EPMA分析及び偏光顕微鏡観察により異なる岩源を示し、修復の可能性を示唆したが、製作当初の下地混和材は、花崗岩起源の砂が用いられた可能性が高い。宋の値が得られた食籠は、薄い板材を用いた挽曲げ造りと巻胎技法で木地を製作した後、布着せを全体に施し、刻苧漆と鉱物混和漆で下地調整し、最後に堆朱で表面を飾るという技法で製作。昨年調査した食籠と同様な製作技法である。この結果は、中国の中世漆工技法書「きゅう飾録」の記述と整合する。また、下地調整混和材として、微量のモナザイトを含む花崗岩砕屑物が使用されていた。中世日本の大名屋敷跡の中に、この食籠の下地構造と混和鉱物組成がほぼ同じ構造をとった漆器が確認されている。これより、中世に大陸から日本に漆器または漆器製作技術がもたらされていた可能性が高いことを示している。飛鳥~江戸時代の特徴を示す塗膜断面の鉱物下地混和材の粒度分布から下地調整技術の変遷を検討するため、比較試料として現在市販の地粉、砥粉、及び中尊寺地粉とその細砂を用い調査した。その結果、飛鳥時代の資料は細砂の中に350μ㎜程の大きな粒形が散見され、他の時代とは異なり、また比較試料にも見出せなかった。平安時代末期の什器と建築材下地は、低地から採取した細砂と、切通から採取した中尊寺地粉の粒度とほぼ同じで、用途に応じ下地材料の採取場所を選択した可能性が示された。戦国時代では、砂に細砂を添加したものと細砂のみが認められたものの、市販砥粉より粗い。江戸時代の資料になって、現在使用されている砥粉の粒度と同様な値が得られた。漆工技術が頂点に達したとされる時代は、砥粉の特徴を最大限活かし、多用した結果もたらされた可能性が示唆された。
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The Proceeding of the Second Symposium of the Society for Conservation of Cultural Heritage in East Asia
巻: 1 ページ: 389-402
978-7-03-038251-1