(1)「帝国史」研究の成果をふまえ、従来、1930年代以降の植民地期朝鮮における「統合」政策が、地域と職域という二重の展開をした戦争動員によって、朝鮮社会や地域を植民地権力側に取り込むことを一定可能としたのは、「民衆や社会を包摂する帝国支配秩序」が「統合」を促す前提として存在したためである。本研究では、こうした「秩序」を、当該期の地域社会における「秩序」維持法令の運用実態と朝鮮社会や民衆の対応事例に重点をおいて、あぶり出すことをねらいとした実証的な地域研究である。平成26年度においては、以下のような資料整理と研究成果の発表を行った。 (2)これまで主に韓国の国家記録院にて収集した植民地期朝鮮における地方行政関連史料の整理を行った。 (3)以上の成果と関わって、「植民地朝鮮における「国家祭祀」の整備過程」(君島和彦編『近代の日本と朝鮮―「された側」からの視座―』東京堂出版、2014年)および「<研究ノート>敗戦直後の海外神社-朝鮮の神社を例に―」(追手門学院大学国際教養学部アジア学科編『アジア学科年報』8号、2014年12月)を発表した。また、京都大学人文科学研究所共同研究班「アジア・太平洋戦争期朝鮮社会の諸相」主催の日韓歴史研究者ワークショップ「「流言飛語」の時代-戦時期朝鮮社会の実像を探る-」(2015年2月7日)において、「「不敬」言動にみる戦時期朝鮮人のメンタリティー」と題した報告を行った。
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