2013年8月にEpistemology for the Rest of the World という国際会議を東京で開催し、多くの海外からの出席者を集め、活発な議論を呼び起こしながら盛会のうちに無事終了した。 そこで研究代表者は、ラトガース大学のスティッチ教授とともに会議冒頭でManifestoを発表し、認識論が潜在的な言語的差異を無視できないということを強調した。"know" の語彙的意味が他のすべての言語の対応する語と共有されているかどうかは経験的な問題であり、検証されているわけではない。そのような現在の認識論における前提を我々はuniversality thesis と呼び、それが偽でありそうなこと、偽であった場合の選択肢を3つ提示した。また、個人発表として、"know" と日本語の「知っている」および「分かっている」は状況によって使用がそれぞれ異なる場合があると論じ、経験的データによって「知っている」と「分かっている」の違いを示した後、どちらが"know"に近いのか、あるいはむしろ英語の"know"が曖昧なのではないか、と問いかけた。さらには和泉・次田との共同発表である"know how" についての論文において、日本語のknow how に対応する表現、「やり方を知っている」「どうやるか知っている」などの使用がほとんど会話の中には現れない、ということを指摘し、Stanleyなどの主張する主知主義が"know how"を能力様相としているのに対し、日本語のそれは主に義務様相として使われているのではないかと論じた。この会議の成果は書籍として出版される予定である。 その後イギリスの実験哲学会議でもknow how の関連する発表を行い、東京でのウィトゲンシュタインの会議では、8月の会議での発表の基礎となる文脈主義的な意味についての研究の発表を行った。
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