研究課題/領域番号 |
23520042
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研究機関 | 岩手大学 |
研究代表者 |
音喜多 信博 岩手大学, 人文社会科学部, 准教授 (60329638)
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キーワード | 哲学的人間学 / 現象学 / シェーラー / カッシーラー |
研究概要 |
平成25年度は、大きく分けて以下の2つの課題に取り組んだ。 1.まず、当初の研究計画どおり、「現象学的人間学の存在論と進化論的認識論の実在論」というテーマを扱った。そこでは、シェーラーの論文「認識と労働」や「観念論-実在論」における存在論と、現代の進化論的認識論における実在論とを比較した。その結果、次のような類似性と差異が明らかになった。シェーラーの存在論においては、進化論的認識論の実在論におけるのと同様に、生体の存在から隔絶した「客観的実在」は存在しないのであり、実在は生体の機能と相関的なものとして考えられている。しかしながら同時に、シェーラーは生物学的プラグマティズムに見られるような相対主義には批判的である。シェーラーにおいては、実在とは「生命一般」の相関項のことであり、その意味では、それぞれの生物個体が観念論的に構成するものではないのである。なお、この研究成果については、論文という形での発表をすることができなかったので、平成26年度の研究へと組み込んでいきたい。 2.次に、シェーラーの哲学的人間学に対して批判的な観点から見解を述べているエルンスト・カッシーラーの草稿「シンボル形式の形而上学へ向けて」(1928年執筆終了)についての研究をおこなった。カッシーラーは、シェーラーの形而上学に内包されている「精神」と「生命」の実体論的二元論を批判している。カッシーラーによれば、「精神」とはあくまで「生命」が自己を再帰的に振り返る機能のことであり、その際、生命が自己と向き合う媒体となるのが「シンボル形式」である。私は、シェーラーの人間学は、このような媒体の存在に無自覚であったために性急な形而上学へと移行していったのではないか、という観点から批判的な検討をおこなった。この研究成果の一部は、論文「E・カッシーラー『シンボル形式の形而上学』より見た哲学的人間学」にまとめられた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度においては、当初の計画どおり、「現象学的人間学の存在論と進化論的認識論の実在論」について研究をおこない、ほぼ予定通り研究が遂行された。この研究の成果については、学会発表や論文というかたちで発表することができなかったが、平成26年度の研究の基礎として組み込まれることとなる。これに加えて、平成25年においては、当初の研究計画から若干の変更があった。それは、カッシーラーの「シンボル」概念についての研究を追加したことである。この変更は本研究全体の進捗を妨げるものではなく、むしろ、哲学的人間学と自然主義との関係を包括的な観点から研究するという方向性をより推進するものとなった。これらの理由から、平成25年度までの研究は、おおむね順調に進展していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
当初の研究実施計画によれば、平成26年度は「現象学的価値倫理学と進化倫理学」がテーマとなる予定であった。しかし、このテーマについては、すでに平成23年度におおかたの研究を終了することができた。そこで、平成26年度においては、平成25年度の研究からの継続性を重視しながら、「ダーウィン主義時代における現象学的人間学の科学論的意義」を探るという本研究の全体的課題の総括となるような研究をおこないたい。 その際に鍵となるのは、哲学的人間学の思想家たちが使用している「シンボル」という概念である。『人間』(1940年)におけるゲーレンは、知覚から言語までを一貫したシンボル形成的な機能として捉えている。ゲーレンによれば、人間の知覚はすでに独特の再帰性と表現性とを備えており、その意味で根本的にシンボル的である。また、カッシーラーは『シンボル形式の哲学』(1923-29年)において、シンボル形式として神話・言語・科学をあげているのであるが、これらの間には優越の関係は存在せず、いずれもが「生命」が自己自身と向かい合うための不可欠の媒体であるとしている。以上のように「シンボル」という概念を導入することによって、知覚から高次の理論的認識までを一貫した人間学的観点から捉え直すことができる。そのことによって、「精神」対「生命」、あるいは「主知主義的観念論」対「自然主義的実在論」などといった伝統的な対立図式を乗り越えることが期待されるのである。 このような観点から、平成26年度においては、哲学的人間学の思想家たちが共通に抱いていた課題、つまり伝統的な主知主義を批判する一方で、20世紀になって新たに登場してきた生物学的人間観とどのように対峙していくのかという課題に対する彼らの取り組みを整理したい。その上で、現代の進化生物学の発展状況のなかで、彼らの思想がどのように評価されるべきであるのか、検討してみたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
次年度使用額が生じた理由は主にふたつあり、ひとつは平成25年度の当初の研究計画の若干の変更にともない、カッシーラー関連の文献を購入する必要が生じたが、その文献の選定に予想以上の時間がかかり、次年度に持ち越す必要が生じたということである。また、ふたつめの理由は、平成25年度に研究成果の発表を予定していた学会が所属機関(岩手大学)で開催されたため、その分の旅費を使用する必要がなくなったということである。 上記のとおり、平成26年度においては研究計画を若干変更し、カッシーラーの哲学についても扱うこととした。したがって、当初は計上されていなかったカッシーラー関連の文献、とくに二次文献についても購入する必要がある。また、哲学的人間学の認識論を英米系の自然主義的な認識論と比較するうえで、当初の予算使用計画にはなかった英米系の認識論に関連する文献をも購入する必要が生じてきた。次年度使用分は、主にこれらの分野の文献資料の購入(物品費)に充てる予定である。
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