本研究は、①江戸期儒者としての懐徳堂学派の立場の分析②懐徳堂の経世思想の分析③懐徳堂の経学思想の分析、の三点を中心に懐徳堂学派の教育思想の分析をめざした。 最終年度の研究の成果として、まず、「知識人」の概念が近代以降に成立した狭義の概念と一般的に知識を有する者という広義の概念とに代表されるさまざま定義がある以上、安易に「儒者=知識人」とすべきではなく、江戸期儒者は儒者としてとらえるべきであることを具体例を列挙して論証した。儒者は社会全体に対する志を有しており、政治に関わることがその本来的性質であることを明らかにした。 次に中井竹山の著述の読解を通した懐徳堂の経世思想を明らかにするために、『草茅危言』に見える新学校設置論等、教育に関する竹山の思想を検討し、竹山の経世思想が教育思想に反映される様相、すなわち、儒者が教育者として社会的地位を確立していた様相を明らかにした。特に懐徳堂の儒者は庶民のみならず武士への教育に自己の職務を見出そうと積極性を発揮してゆく点にその特徴があった。 研究期間全体を通じて実施した研究の成果として、懐徳堂学派の理念としての経学思想が現実世界に関わる経世思想―その一環としての教育思想―に反映される様相を分析し、道徳と政治との双方の重視が懐徳堂儒者の基本的立場だと明らかにした。そして、道徳と政治とのつながりが「修己」から「治人」へと向かう直線的な流れではなく、両者を同列に置いたうえで止揚することによって得られる高度な「自己」を基底とする統合を懐徳堂学派の儒者が考えていたことを解明した。その高度な「自己」の概念を提出したことが日本近世儒教思想上における懐徳堂学派の思想史的意義であることを明らかにした。
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