24年度に引き続き、計画どおり、書籍購入、ケンブリッジ大学神学部図書館及びティンダルハウス図書館での資料収集などにより研究を進め、イエスの神義論をまとめた。その論考は、「イエスの神義論」として、序文、1悪の問題と神の義―思想史的背景、2神の憐れみ、3罪と赦しの問題、4応答としての行為、5病の癒し、6穢れ、7サタンからの解放、8貧しい者への福音、結論、参考文献、との章立てで328頁となっている。結論の要点は以下の通りである。 イエスは悪の存在について何も神義論は論じていない。しかし、悪の問題に何ら答えていないわけではなく、神が悪や苦しみに救いの手を差し伸べていると示している。その救いは罪の赦しだけではなく、身体的、社会的苦痛である病や穢れ、悪霊憑きからの解放や、貧困者への神の憐れみの使信など、人間の生のあらゆる面にわたる。申命記では、律法を守るか否かで生のあらゆる面での祝福か呪いかが約束されているため(申命記28章)、不幸な者は何らかの罪の罰を受けていると考えられる傾向があった(禍の神義論である)。しかしイエスは逆に、不幸な者こそ神の憐れみを受け、救われることを示し、彼らの病や貧困が彼らの罪のためではないこと、恵まれない者には神の国での幸せが約束されていることを確約した。旧約の神はアブラハムに子孫の祝福を約束したが、イエスはその言動で、神はその約束に信実であり、憐れみ深く、究極的には法的義さえも超えて民を救い、神の国を成就することを確約し、イエス自身の活動はその初めであることを示した。人間は神の赦しや癒しなどに応答して、神の国の成就に参与することを求められている。 この結果から、キリスト教は、単なる思弁的な心の問題ではなく、実践的な行動の問題であると考えざるを得ない。この結論を認識し、教会や世間に発信することは、弱者や不幸な人々に対するキリスト教の社会的な存在のあり方を変えてゆくであろう。
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